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2016年9月28日 (水)

『佛説阿彌陀經』漢訳・国訳・現代語訳・梵文和訳対照(脚注付)

[原文01]

T0366_.12.0346b24:  No.366[No.367]

T0366_.12.0346b25:

T0366_.12.0346b26: 佛説阿彌陀經

T0366_.12.0346b27:  姚秦龜茲三藏鳩摩羅什譯 

T0366_.12.0346b28: 如是我聞。一時佛在舍衞國祇樹給孤

T0366_.12.0346b29: 獨園。與大比丘僧千二百五十人倶。皆是

T0366_.12.0346c01: 大阿羅漢。衆所知識。長老舍利弗。摩訶目

T0366_.12.0346c02: 乾連。摩訶迦葉。摩訶迦栴延。摩訶拘絺

T0366_.12.0346c03: 羅。離婆多。周梨槃陀迦。難陀。阿難陀。羅睺

T0366_.12.0346c04: 羅。憍梵波提。賓頭盧頗羅墮。迦留陀夷。摩訶

T0366_.12.0346c05: 劫賓那。薄倶羅。阿樓馱。如是等諸大弟

T0366_.12.0346c06: 子。并諸菩薩摩訶薩。文殊師利法王子。阿

T0366_.12.0346c07: 逸多菩薩。乾陀訶提菩薩。常精進菩薩。與

T0366_.12.0346c08: 如是等諸大菩薩。及釋提桓因等。無量諸天

T0366_.12.0346c09: 大衆倶

[中村・早島・紀野(1990):国訳01]

佛の説きたまいし阿彌陀經

姚秦龜茲の三藏、鳩摩羅什譯す 

かくのごとくわれ聞けり。一時、佛、舍衞國の祇樹給孤獨園に在まして、大比丘僧、千二百五十人とともなりき。みな、これ大阿羅漢にして、衆に知識せられたり。(すなわち)長老舍利弗、摩訶目乾連、摩訶迦葉、摩訶迦栴延、摩訶拘絺羅、離婆多、周梨槃陀迦、難陀、阿難陀、羅睺羅、憍梵波提、賓頭盧頗羅墮、迦留陀夷、摩訶劫賓那、薄倶羅、阿ぬ樓馱、かくのごときらのもろもろの大弟子、ならびにもろもろの菩薩摩訶薩、(すなわち)文殊師利法王子、阿逸多菩薩、乾陀訶提菩薩、常精進菩薩、かくのごときらのもろもろの大菩薩、および釋提桓因らの無量の諸天・大衆とともなりき。

[浄土真宗聖典編纂委員会編(1996):現代語訳01]

佛説阿彌陀經

姚秦龜茲の三藏、鳩摩羅什譯す

次のように、わたしは聞かせていただいた。

あるとき、釈尊は舎衛国の祇園精舎においでになって、千二百五十人のすぐれた弟子たちとご一緒であった。

これらはみな世に知られた徳の高い阿羅漢であって、そのおもなものは、長老の舍利弗をはじめ摩訶目乾連・摩訶迦葉・摩訶迦栴延・摩訶拘絺羅・離婆多・周梨槃陀迦・難陀・阿難陀・羅睺羅・憍梵波提・賓頭盧頗羅墮・迦留陀夷・摩訶劫賓那・薄倶羅・阿ぬ樓馱などの弟子たちであった。またすぐれた菩薩たち、すなわち文殊菩薩・弥勒菩薩・乾陀訶提菩薩・常精進菩薩などの菩薩たちや、その他、帝釈天などの数限りないさまざまな神々ともご一緒であった。 

[柏原(1980):講義01]

この経は、大聖釈迦牟尼世尊が、阿弥陀仏およびその浄土のことなどをお説きになったお経である。

このお経は、姚秦の二世姚興王の勅命を受けて、弘始四年に龜茲国の鳩摩羅什三藏法師が翻訳した。

これから阿難尊者が『小経』御説法の様子を述べられるには、「釈尊が、もはや御入滅まぎわになられて、舎衛国の南、祇園精舎におられた時のことである。われは、尊い御説法を聴聞して、今も誤りなく信じている」と。

この時同座した声聞衆は千二百五十人であった。みな多勢の人々に識られている名高い方々であった。その主な方の名をいえば、長老舎利弗尊者・目乾連尊者・大迦葉尊者などの十六人で、みな釈尊の御弟子である。また文殊師利・阿逸多などの大菩薩や、帝釈天などの無量の天人もおられたことである。

[中村・早島・紀野(1990):梵文和訳01]

1 全知者に礼したてまつる。

わたくしが聞いたのであるが、あるとき師は、千二百五十人もの多くの修行僧たちの集いとともに、シラーヴァスティー市のジェータ林、〈孤独な人々に食を給する長者〉の園に滞在しておられた。これらの人々はすべて偉大な〈教えを聞く修行者〉・敬わるべき人々であり、超自然的な能力に達した長老たちであった。すなわち、長老シャーリプトラ、マハー・マウドガリヤーヤナ、マハー・カーシヤパ、マハー・カッピナ、マハー・カーティヤーヤナ、マハー・カウシティラ、レーヴァタ、シュッディパンタカ、ナンダ、アーナンダ、ラーフラ、ガヴァーンパティ、バラドヴァージャ、カーローダイン、ヴァックラ、アニルッダという人々であった。〔そのほかにも〕かれら、および、その他の多くの偉大な〈教えを聞くのみの修行者〉たちもいた。さらに、多くの求道者・すぐれた人々、すなわち、法の王子であるマンジュシュリー(文殊)、求道者アジタ、求道者ガンダハスティン、求道者ニティヨーディユクタ、求道者アニクシプタドゥラなどの人々、および、その他の多くの求道者・すぐれた人々もいた。それから、神々の王であるシャクラ(帝釈天)、この現実界の主であるブラフマン(梵天)、およびその他の多くの、百千・百万の神々の子たちもいた。

[山口・桜部・森(2002):梵文和訳01]

すべてを知るおかたに礼拝したてまつる

(1)次のように私は聞いた。あるとき、世尊は(コーサラ国の首都)シュラーヴァスティ(舎衛城)のジェータ林のなかにあるアナータピンダダの園(祇樹給孤獨園)に、千二百五十人もの大きな比丘の僧団(僧伽)と一緒に滞在しておられた。(これらの比丘たちは)博識なることによってよく知られ、長老であり、(仏の)偉大な弟子(声聞)であり、すべて尊敬さるべき人(阿羅漢)であった。すなわち、長老シャーリプトラ(舍利弗)、マハーマウドガリヤーヤナ(大目乾連)、マハーカーシヤパ(大迦葉)、マハーカッピナ(大劫賓那)、マハーカーティヤーヤナ(大迦栴延)、マハーカウシュティラ(大拘絺羅)、レーヴァタ(離婆多)、シュッディパンタカ(周梨槃陀迦)、ナンダ(難陀)、アーナンダ(阿難陀)、ラーフラ(羅睺羅)、ガヴァーンパティ(憍梵波提)、バラドヴァージャ(波羅堕縛)、カーローダイン(迦留陀夷)、ヴァックラ(薄倶羅)、およびアニルッダ(阿尼樓馱)らである。(世尊は)これらの人々や、なおそのほか多くの偉大な弟子たちと(一緒であった)。また、多くの菩薩摩訶薩たちとも(一緒であった)。すなわち、童子の位にあるマンジュシュリー(文殊師利)、アジタ(阿逸多)菩薩、ガンダハスティン(香象)菩薩、ニティヨーディユクタ(常精進)菩薩、アニクシプタドゥフラ(不休息)菩薩らである。(世尊は)これら(の諸菩薩)や、なおそのほか多くの菩薩摩訶薩たちと(一緒であり)、また、諸天の王であるシャクラ(帝釈天)、娑婆の主であるブラフマン(梵天)ら(の諸天)や、なおそのほか幾百千ナユタ(の数)の天衆らと一緒であった。

[藤田(2015):梵文和訳01]

一切智者に帰命したてまつる。

このようにわたくしは聞いた。あるとき、世尊はシュラーヴァスティー(舎衛城)にあるジェータ林(祇樹)・アナータピンダダ園(給孤獨園)の中で、千二百五十人の比丘からなる大勢の比丘僧団と一緒に滞在しておられた。〔これらの比丘たちは〕非常に有名であり、長老で、偉大な声聞(弟子)であり、すべて、阿羅漢たちであった。すなわち、(1)長老シャーリプトラ(舍利弗)、(2)マハー・マウドガリヤーヤナ(摩訶目乾連)、(3)マハー・カーシュヤパ(摩訶迦葉)、(4)マハー・カッピナ(摩訶劫賓那)、(5)マハー・カーティヤーヤナ(摩訶迦栴延)、(6)マハー・コーシュティラ(摩訶拘絺羅)、(7)レーヴァタ(離婆多)、(8)チューダ・パンタカ(周梨槃陀迦)、(9)ナンダ(難陀)、(10)アーナンダ(阿難陀)、(11)ラーフラ(羅睺羅)、(12)ガヴァーンパティ(憍梵波提)、(13)バラドヴァージャ(波羅堕縛)、(14)カーローダイン(迦留陀夷)、(15)ヴァックラ(薄倶羅)、(16)アニルッダ(阿尼樓馱)であった。これら〔の比丘たち〕と、それ以外にも多くの偉大な声聞たちが一緒であった。また、多くの菩薩・大士たちもいた。すなわち、(1)王子の位にあるマンジュシュリー(文殊師利法王子)、(2)アジタ(阿逸多)菩薩、(3)ガンダハスティン(乾陀訶提)菩薩、(4)ニティヨーディユクタ(常精進)菩薩、(5)アニクシプタドゥラ(不休息)菩薩であった。これら〔の菩薩たち〕と、それ以外にも多くの菩薩・大士たちが一緒であった。また、神々の帝王であるシャクラ(釋提桓因)と娑婆の主であるブラフマン(梵天)もいた。これら〔の神々〕と、それ以外にも十万・百万の多くの天子たちが一緒であった。

 

[原文02]

T0366_.12.0346c10: 爾時佛告長老舍利弗。從是西方過十萬億

T0366_.12.0346c11: 佛土。有世界名曰極樂。其土有佛號阿

T0366_.12.0346c12: 彌陀。今現在説法。舍利弗。彼土何故名爲極

T0366_.12.0346c13: 樂。其國衆生無有衆苦。但受諸樂故名極

T0366_.12.0346c14: 樂。

[中村・早島・紀野(1990):国訳02]

その時、佛、長老舍利弗に告げたもう、「これより西方、十萬億の佛土を過ぎて、世界あり、名づけて極樂という。その土に佛ありて、阿彌陀と號す。(かれ)いま、現に在まして説法したもう。舍利弗よ、かの土、何なにがゆえに、名づけて極樂とする。その國の衆生、もろもろの苦しみのあることなく、ただもろもろの樂しみのみを受く。かるがゆえに極樂と名づく。

[浄土真宗聖典編纂委員会編(1996):現代語訳02]

そのとき釈尊は長老の舎利弗に仰せになった。「ここから西の方へ十万億もの仏がたの国々を過ぎたところに、極楽と名づけられる世界がある。そこには阿弥陀仏と申しあげる仏がおられて、今現に教えを説いておいでになる。

舎利弗よ、その国をなぜ極楽と名づけるかというと、その国の人々は、何の苦しみもなく、ただいろいろな楽しみだけを受けているから、極楽というのである。

[柏原(1980):講義02]

釈尊は上の大衆に向かわれて、今や入涅槃の時も迫ったから、最後の説法をしようと思召され、誰の問いをも待ちたわず、御自ら舎利弗尊者を呼んで告げられるには、「この娑婆世界から西の方に十万億の仏の国々をこえて、一つのうるわしい世界がある。それはすなわち極楽世界である。御主の仏を阿弥陀と呼び奉ることであるが、今現にこの極楽世界において仏の道を御説きあそばしつつある。」

「舎利弗よ、なにゆえかの国をば極楽というかというに、その国に住む衆生は、生・老・病・死の四苦とか怨憎会苦とか、愛別離苦とか、そのほかいろいろの苦しみは少しもなく、ただもろもろの楽しみを受けるからである。」

[中村・早島・紀野(1990):梵文和訳02]

2 そこで師は、シャーリプトラ尊者に言われた―「シャーリプトラよ。ここから西方に百万億の仏国土を過ぎたところに、〈幸あるところ〉という名の世界がある。そこに、無量寿(アミターユス・かぎりなき命)と名づける如来・敬わるべき人・正しく目ざめた人が現に今住んでおり、身を養い、日を送り、法を説いているのである。さて、シャーリプトラよ、そなたはどう思うか―この世界はどうして〈幸あるところ〉と言われるのであろうか。シャーリプトラよ。実に、かの〈幸あるところ〉という世界には、生ける者どもの身体の苦しみもないし、心の苦しみもない。ただ、測り知れない安楽の原因が無量にあるばかりなのだ。それ故に、かの世界は、〈幸あるところ〉と言われるのだ。

[山口・桜部・森(2002):梵文和訳02]

(2)そのとき、世尊は尊者シャーリプトラに話しかけられた。

シャーリプトラよ、この仏国より西のかた、百千コーティ(の数)の仏国を超え過ぎると、安楽(世界)と名づける世界がある。そこには、アミターユス(無量寿)と名づける如来、尊敬さるべきもの、完全なさとりを得ている(仏)が、いま現におり、生存し、(時を)すごし、そして法を説き示している。

そなたはこれをいかに考えるか。シャーリプトラよ、どうしてその世界は安楽(世界)と言われるのか。まことに、シャーリプトラよ、かの安楽世界には、有情にとって、身体の苦しみもなく、心の苦しみもなく、ただ量り知れない安らかさの因だけがある。それゆえに、かの世界は安楽(世界)といわれる。

[藤田(2015):梵文和訳02]

そのとき、世尊は尊者シャーリプトラに対して話しかけられた。「シャーリプトラよ、この仏国土より西方に、十万・千万の仏国土を過ぎて、極楽と名づける世界がある。かしこに、アミターユス(無量の寿命をもつ者)と名づける如来・応供・正等覚者が、今、住し、とどまり、時を過ごし、そして法を説いておられる。シャーリプトラよ、これをどう思うか―どういうわけで、かの世界は〈極楽〉と呼ばれるのであろうか。まことに、シャーリプトラよ、かの極楽世界には、衆生たちの身体の苦しみもないし、心の苦しみもなく、ただ無量の安楽の原因のみがある。こういうわけで、かの世界は〈極楽〉と呼ばれるのである。

 

[原文03]

T0366_.12.0346c14:   又舍利弗。極樂國土。七重欄楯七重羅

T0366_.12.0346c15: 網七重行樹。皆是四寶周匝圍繞。是故彼國

T0366_.12.0346c16: 名曰極樂。又舍利弗。極樂國土有七寶池。

T0366_.12.0346c17:

T0366_.12.0346c18:

T0366_.12.0346c19:

T0366_.12.0346c20:

T0366_.12.0346c21:

T0366_.12.0346c22:

T0366_.12.0346c23:

T0366_.12.0346c24:

T0366_.12.0346c25:

T0366_.12.0346c26:

T0366_.12.0346c27:

T0366_.12.0346c28:

T0366_.12.0346c29:

T0366_.12.0347a01: 八功徳水充滿其中。池底純以金沙布地。

T0366_.12.0347a02: 四邊階道。金銀琉璃頗梨合成。上有樓閣。

T0366_.12.0347a03: 亦以金銀琉璃頗梨車赤珠馬瑙。而

T0366_.12.0347a04: 嚴飾之。池中蓮花大如車輪。青色青光。黄

T0366_.12.0347a05: 色黄光。赤色赤光。白色白光微妙香潔。舍利

T0366_.12.0347a06: 弗。極樂國土成就如是功徳莊嚴

[中村・早島・紀野(1990):国訳03]

また、舍利弗よ、極樂國土には、七重の欄楯、七重の羅網、七重の行樹あり、みなこれ四寶、周匝し圍繞せり。このゆえにかの國を、名づけて極樂という。

また、舍利弗よ、極樂國土には、七寶の池あり。八功徳の水、その中に充滿せり。池の底、純らもって金沙を地に布けり。(池の)四邊の階道、金・銀・琉璃・頗梨より成る。(階道の)上に樓閣あり、また、金・銀・琉璃・頗梨・車こ・赤珠・馬瑙をもって、これを嚴飾す。池中の蓮花、大いさ車輪のごとし。(しかも)青色には青光、黄色には黄光、赤色には赤光、白色には白光ありて、微妙・香潔なり。舍利弗よ、極樂國土には、かくのごときの功徳莊嚴を成就せり。

[浄土真宗聖典編纂委員会編(1996):現代語訳03]

また舎利弗よ、その極楽世界には七重にかこむ玉垣と七重におおう宝の網飾りと七重につらなる並木がある。そしてそれらはみな金・銀・瑠璃・水晶の四つの宝でできていて、国中のいたるところにめぐりわたっている。それでその国を極楽と名づけるのである。

また舎利弗よ、極楽世界には七つの宝でできた池があって、不可思議な力を持った水がなみなみとたたえられている。池の底には一面に金の砂が敷きつめられ、また四方にはな金・銀・瑠璃・水晶でできた階段がある。岸の上には楼閣があって、それもまたな金・銀・瑠璃・水晶・しゃこ・赤真珠・瑪瑙で美しく飾られている。また池の中には車輪のように大きな蓮の花があって、青い花は青い光を、黄色い花は黄色い光を、赤い花は赤い光を、白い花は白い光を放ち、いずれも美しく、その香りは気高く清らかである。

舎利弗よ、極楽世界はこのようなうるわしいすがたをそなえているのである。

[柏原(1980):講義03]

「また舎利弗よ。極楽国土には地に七重の欄干があり、空に七重の羅網があり、そのなかほどに七重の並樹がさかえている。これらはいずれも金・銀・瑠璃・頗梨の四宝をもってつくられ、国のいたるところここかしこをめぐっている。こういう楽しいところであるから、その国を極楽と名づけるのである。」

「舎利弗よ。またかの極楽国土には七宝の池があって、清浄に潤沢な八功徳の水がなみなみとただようている。眼をふせて底をみれば、金の沙が布かれている。眼をあげて四方をみれば、金・銀・青玉・水晶の四宝でできた麗しい階があって、岸のうえから汀にむけてかけられている。そして、その岸の上には七宝のまばゆい楼閣がそびえ、池の中には車の輪ほどもある大きな蓮華が咲き出ている。その花は青い色は青く光り、黄の色は黄に光、赤は赤の光を放ち、白は白の光を放って、香高く涼やかである。

舎利弗よ。まことに極楽国土には、かような徳の高い荘厳が満ちているのである。」

[中村・早島・紀野(1990):梵文和訳03]

3 また次にシャーリプトラよ、〈幸あるところ〉という世界は、七重の石垣、七重のターラ樹の並木、鈴のついた網によって飾られ、あまねくめぐらされ、きらびやかで美しく麗しく見える。それらは、金・銀・瑠璃・水晶の四種の宝石からできている。シャーリプトラよ、かの仏国土は、このような、仏国土特有のみごとな光景で立派に飾られているのだ。

4 また次にシャーリプトラよ、〈幸あるところ〉という世界には、金・銀・瑠璃・水晶・赤真珠・瑪瑙と、第七の宝石である琥珀との七種の宝石から出来ている蓮池がある。その蓮池は八つの特性ある水が充ち満ち、池の水は岸と同じ高さで平らかであり、烏が水を飲めるほどであり、金の砂子が敷きつめられている。その蓮池の周囲四方に、金・銀・瑠璃・水晶の四つの宝石からできている、四つの階段があって、きらびやかで美しく麗しく見える。またその蓮池の周囲には、金・銀・瑠璃・水晶・赤真珠・瑪瑙と、第七の宝石である琥珀との七種の宝石から出来ている宝石の木が生えていて、きらびやかで美しく麗しく見える。またその蓮池の中には、周囲が車の輪ほどの大きさのある蓮花が生じている。青い蓮花は青い色で青く輝き、青く見え、黄いろの蓮花は黄なる色で黄いろに輝き、黄いろに見え、赤い蓮花は赤い色で赤く輝き、赤く見え、白い蓮花は白い色で白く輝き、白く見え、さまざまな色の蓮花はさまざまな色でさまざまな輝きあり、さまざまな色に見えている。シャーリプトラよ。かの仏国土は、このような、仏国土特有のみごとな光景で飾られているのだ。

[山口・桜部・森(2002):梵文和訳03]

(3)さらにまた、シャーリプトラよ、安楽世界は七重の玉垣や、七重のターラ樹の列や、鈴の網によってみごとに飾られ、あまねくとりまかれている。四種の宝、すなわち金・銀・瑠璃・水晶からなり、きらびやかで、目に美しい。シャーリプトラよ、このような仏国のすぐれた特性を美しくそなえることによって、かの仏国はみごとに飾られている。

(4)さらにまた、シャーリプトラよ、安楽世界には七種の宝、すなわち金・銀・瑠璃・水晶・赤真珠・瑪瑙と第七の宝である琥珀とからなる蓮池がある。(これらの池は)八つの特質をそなえた水が充満し、(水面は池の)岸と等しくて、(岸に立つ)烏が(直ちにそれを)飲めるほどである。(地底には)金の砂がまき散らされている。そして、これらの蓮池の周囲には、四方に四つの階段があり、四種の宝、すなわち金・銀・瑠璃・水晶からなり、きらびやかで、目に美しい。また、それらの蓮池の周囲には宝樹が生じていて、七種の宝、すなわち金・銀・瑠璃・水晶・赤真珠・瑪瑙と第七の宝である琥珀とからなり、きらびやかで、目に美しい。また、それらの蓮池には蓮の花が生じていて、青い(蓮)には青い色があり、青い輝きがあり、青く見える。黄色い(蓮)には黄色い色があり、で黄色い輝きがあり、黄色に見える。赤い(蓮)には赤い色があり、赤い輝きがあり、赤く見える。白い(蓮)には白い色があり、白い輝きがあり、白く見える。種々の(蓮)には種々の色があり、種々の輝きがあり、種々に見える。(花の)周囲は車の輪ほどもある。シャーリプトラよ、このような仏国のすぐれた特性を美しくそなえることによって、かの仏国はみごとに飾られている。

[藤田(2015):梵文和訳03]

また、次に、シャーリプトラよ、極楽世界は、七〔重〕の石垣、七〔重〕のターラ樹の並木、鈴のついた網によって飾られ、あまねくめぐらされ、四つの宝石すなわち金・銀・瑠璃・水晶からできていて、きらびやかで、美しい。シャーリプトラよ、かの仏国土は、もろもろのこのような仏国土の功徳の荘厳によって、飾られているのである。

また、次に、シャーリプトラよ、極楽世界には、七つの宝石すなわち金・銀・瑠璃・水晶・赤真珠・瑪瑙と、第七の宝石である琥珀とからできているもろもろの蓮池があり、八つの特性ある水が充満し、岸の高さと等しく、烏が飲めるほどであり、金の砂が撒布されている。また、これらの蓮池には、周囲の四方に四つの階段があって、四つの宝石すなわち金・銀・瑠璃・水晶の宝石からできており、きらびやかで美しい。また、これらの蓮池の周囲には、宝石の木々が生じていて、七つの宝石すなわち金・銀・瑠璃・水晶・赤真珠・瑪瑙と、第七の宝石である琥珀とからできており、きらびやかで、美しい。また、これらの蓮池の中には、もろもろの蓮華が生じていて、青い〔蓮華〕は青い色で、青く輝き、青く見え、黄色い〔蓮華〕は黄色い色で、黄色く輝き、黄色く見え、赤い〔蓮華〕は赤い色で、赤く輝き、赤く見え、白い〔蓮華〕は白い色で、白く輝き、白く見え、種々な〔蓮華〕は種々な色で、種々に輝き、種々に見え、〔これらの蓮華の〕まわりは車の輪ほどの大きさがある。シャーリプトラよ、かの仏国土は、もろもろのこのような仏国土の功徳の荘厳によって、飾られているのである。

 

[原文04]

T0366_.12.0347a07: 又舍利弗。彼佛國土常作天樂。黄金爲地。

T0366_.12.0347a08: 晝夜六時天雨曼陀羅華。其國衆生常

T0366_.12.0347a09: 以清旦各以衣裓盛衆妙華。供養他方十

T0366_.12.0347a10: 萬億佛。即以食時還到本國。飯食經行。舍

T0366_.12.0347a11: 利弗。極樂國土成就如是功徳莊嚴

[中村・早島・紀野(1990):国訳04]

また、舍利弗よ、かの佛國土、常に天樂をなし、黄金を地とす。晝夜六時に、曼陀羅華を雨ふらす。その國の衆生、常に清旦をもって、おのおのの衣裓をもちいて、衆の妙華を盛り、他方(世界)の十萬億の佛を供養す。すなわち食時をもって、本國に還到して、飯食し、經行す。舍利弗よ、極樂國土には、かくのごときの功徳莊嚴を成就せり。

[浄土真宗聖典編纂委員会編(1996):現代語訳04]

また舎利弗よ、その阿弥陀仏の国には常にすぐれた音楽が奏でられている。そして大地は黄金でできていて、昼夜六時のそれぞれにきれいな曼陀羅の花が降りそそぐ。その国の人々はいつも、すがすがしい朝に、それぞれの器に美しい花を盛り、他の国々の数限りない仏がたを供養する。そして食事の時までには帰ってきて、食事をとってからしばらくの間にはそのあたりを静かに歩き、身と心をととのえる。

舎利弗よ、極楽世界はこのようなうるわしいすがたをそなえているのである。

[柏原(1980):講義04]

「舎利弗よ。またかの阿弥陀仏のお浄土には、いつも微妙な音楽の絶えたことがない。また土地は黄金からできている。そしてその地の上へ、昼夜おのおの三度、天から曼陀羅華の花の雨がふるのである。かの国の衆生は、毎日明け方の静かなときに、その華をひろって華皿に入れ、これをもって他の十万億の諸仏にささげまわって、正午にもならぬさきに、また本国へ還られる。それから食事をすませて、黄金の地をふみながら、宝池・宝樹の園をへめぐり歩ませられる。

舎利弗よ、極楽国土には、このような功徳のある荘厳がそなわっているのである。」

[中村・早島・紀野(1990):梵文和訳04]

5 また次にシャーリプトラよ、かの仏国土では、常に天上の楽器が演奏されており、また、大地は黄金色で麗しい。またかの仏国土では、夜に三度、昼に三度、天上のマンダーラヴァの花の雨を降らせる。かの(世界)に生まれた生ける者どもは、ひとたび朝食前の時間に他の諸々の世界に行って、百千億の仏たちを礼拝し、一々の如来の上に百千億の花の雨を降らして、もとどおり昼の休息のためにかの世界に帰って来る。シャーリプトラよ、かの仏国土は、このような、仏国土特有のみごとな光景で飾られているのだ。

[山口・桜部・森(2002):梵文和訳04]

(5)さらにまた、シャーリプトラよ、その仏国においては天の楽器が常に奏でられる。そして、大地は金色であって、心地よい。また、その仏国においては、夜に三度、昼に三度、天のマンダラヴァ花(曼陀羅華)の花の雨が降る。およそそこに生まれた有情たちは、一朝食のあいだに、他の(多くの)世界に行って、十万コーティ(の数)の仏を礼拝する。そして、それぞれの如来に十万コーティの花の雨をふりかけて、また再び、昼どきの休息のために同じその世界に帰ってくる。シャーリプトラよ、このような仏国のすぐれた特性を美しくそなえることによって、かの仏国はみごとに飾られている。

[藤田(2015):梵文和訳04]

また、次に、シャーリプトラよ、かしこの仏国土では、天のもろもろの楽器が常に演奏されており、また、大地は金色で好ましい。また、かしこの仏国土では、夜に三度、昼に三度、天のマーンダーラヴァ華(曼陀羅華)の花の雨が降る。かしこに生まれた衆生たちは、一〔朝〕食前の間に、他のもろもろの世界に行って、十万・千万の仏たちを礼拝し、一々の如来に十万・千万の花の雨を撒きかけて、再び昼の休息のために、同じかの世界に帰ってくる。シャーリプトラよ、かの仏国土は、もろもろのこのような仏国土の功徳の荘厳によって、飾られているのである。

 

[原文05]

T0366_.12.0347a12: 復次舍利弗。彼國常有種種奇妙雜色之鳥。

T0366_.12.0347a13: 白鵠孔雀鸚鵡舍利迦陵頻伽共命之鳥。

T0366_.12.0347a14: 是諸衆鳥。晝夜六時出和雅音。其音演暢

T0366_.12.0347a15: 五根五力七菩提分八聖道分如是等法。其

T0366_.12.0347a16: 土衆生聞是音已。皆悉念佛念法念僧。

[中村・早島・紀野(1990):国訳05]

またつぎに、舍利弗よ、かの國には、常に種種の奇妙・雜色の鳥あり。白鵠・孔雀・鸚鵡・舍利・迦陵頻伽・共命の鳥なり。このもろもろの鳥、晝夜六時に、和雅の音を出す。その音、五根・五力・七菩提分・八聖道分、かくのごときらの法を演暢す。その土の衆生、この音を聞きおわりて、みなことごとく、佛を念じ、法を念じ、僧を念ず。

[浄土真宗聖典編纂委員会編(1996):現代語訳05]

また次に舎利弗よ、その国にはいつも白鵠・孔雀・鸚鵡・舍利・迦陵頻伽・共命鳥などの色とりどりの美しい鳥がいる。このさまざまな鳥たちは、昼夜六時のそれぞれに優雅な声で鳴き、その鳴き声はそのまま五根・五力・七菩提分・八聖道分などの尊い教えを説き述べている。そこでその国の人々はみな、この鳴き声を聞いて仏を念じ、法を念じ、僧を念じるのである。

[柏原(1980):講義05]

「また舎利弗よ。かの国にはいろいろの妙なる雑色の鳥がいる。鶴・孔雀・鸚鵡・舎利・迦陵頻伽・共命鳥などはその主なものである。これらの鳥は昼夜六時に、優にやさしい声をたてて、のびやかに仏道修行の正しい法である三十七道品のわけがらを謡うことである。人々は、その声を聞いて、仏・法・僧の三宝の恩徳を念う心を起こす。

[中村・早島・紀野(1990):梵文和訳05]

6 また次にシャーリプトラよ、かの仏国土には、白鳥や帝釈鴫や孔雀がいる。かれらは夜に三度、昼に三度、集まって合唱し、また、各々の調べをさえずる。かれらがさえずると、(五)根と、(五)力と、覚りに至るための(七つの)要件(を説き明かす)声が流れ出る。その声を聞いて、かの(世界)の人々は、仏を心にとどめる思いを生じ、法を心にとどめる思いを生じ、集いを心にとどめる思いを生ずるのだ。

[山口・桜部・森(2002):梵文和訳05]

(6)さらにまた、シャーリプトラよ、その仏国には白鳥、帝釈鴫、それに孔雀がいる。彼らは夜に三度、昼に三度、集まってきて、声を合わせてうたったり、それぞれの調べでさえずったりする。彼らがさえずるとき、根・力・覚支(を説く)声が流れ出る。その声を聞いて、そこにいる人々には、仏に向けて思いをそそぐことが生じ、法に向けて思いをそそぐことが生じ、僧団に向けて思いをそそぐことが生じる。

[藤田(2015):梵文和訳05]

また、次に、シャーリプトラよ、かしこの仏国土には、白鳥や帝釈鴫や孔雀たちがいる。それらは、夜に三度、昼に三度、集まって合唱をなし、また各々の調べをさえずる。それらがさえずるとき、〔五〕根・〔五〕力・〔七〕覚支という声が流れ出る。その声を聞いて、かしこにおけるかの人々には、仏に対する思念が起こり、法に対する思念が起こり、僧団に対する思念が起こる。

 

[原文06]

T0366_.12.0347a16:                  舍

T0366_.12.0347a17: 利弗。汝勿謂此鳥實是罪報所生。所以者

T0366_.12.0347a18: 何。彼佛國土無三惡趣。舍利弗。其佛國

T0366_.12.0347a19: 土尚無三惡道之名。何況有實。是諸衆鳥。

T0366_.12.0347a20: 皆是阿彌陀佛。欲令法音宣流變化所作。

[中村・早島・紀野(1990):国訳06]

舍利弗よ、汝、この鳥、實にこれ罪報の所生なりとおもうことなかれ。所以はいかに。かの佛國土には、三惡趣なければなり。舍利弗よ、その佛國土には、なお三惡道の名すらなし。いかにいわんや、實(体)あらんや。このもろもろの鳥、みな、これ阿彌陀佛、法音をして宣流せしめんと欲して、變化したまえる所作なり。

[浄土真宗聖典編纂委員会編(1996):現代語訳06]

舎利弗よ、そなたはこれらの鳥が罪の報いとして鳥に生まれたのだと思ってはならない。なぜなら阿弥陀仏の国には地獄や餓鬼や畜生のものがいないからである。舎利弗よ、その国には地獄や餓鬼や畜生の名さえもないのだから、ましてそのようなものがいるはずがない。このさまざまな鳥はみな、阿弥陀仏が法を説きひろめるために、いろいろと形を変えて現されたものにほかならないのである。

[柏原(1980):講義06]

舎利弗よ。ここに一言注意することがある。これらの鳥は、この娑婆世界の生あるもののように、罪の報いによって、生まれたものとおもうてはならない。なぜなれば、かの仏の国には、罪業の因から報いあらわれた三悪道がないからである。舎利弗よ。まことにかの国には、地獄・餓鬼・畜生という三悪道の名さえもない。ましていわんや、その実体(ものがら)があろうか。これらすべての鳥は、みな本師法王の阿弥陀如来が、法の声を宣べ布こうと思召して、わざわざ不可思議力をもって作られたものである。すなわち御慈悲の変化したものである。

[中村・早島・紀野(1990):梵文和訳06]

シャーリプトラよ。そなたは、どう思うか―かれら生ける者どもは、畜生の領域にいるのだろうか。否、このように見なしてはならないのだ。それは何故だろうか。シャーリプトラよ。かの仏国土には、地獄の名もなく、畜生という名もなく、ヤマ(死神)の世界という名もないからである。しかし、かれら鳥どもの群は、かの無量寿如来によって化作されたものであって、法(を説き明かす)声を発するのだ。シャーリプトラよ。かの仏国土は、このような、仏国土特有のみごとな光景で飾られているのだ。

[山口・桜部・森(2002):梵文和訳06]

そなたはこれをいかに考えるか。シャーリプトラよ、かの有情たちは畜生のたぐいに生まれ出たものであろうか。けっしてそのように見てはならぬ。それはどうしてかといえば、シャーリプトラよ、その仏国にはもろもろの地獄の名称すらなく、畜生のたぐいの(名称すら)も、閻魔界の(名称すら)もないのである。しかも、(そこへ)これら鳥の群れがかのアミターユス如来によってあらわし出されたのであり、(彼らはさえずるとき、その喉から)法の声を発する。シャーリプトラよ、このような仏国のすぐれた特性を美しくそなえることによって、かの仏国はみごとに飾られている。

[藤田(2015):梵文和訳06]

シャーリプトラよ、これをどう思うか―それら衆生たちは、畜生に属するものとなったのであろうか。決して、そのように見てはならない。それはなぜであるか。シャーリプトラよ、かしこの仏国土には、もろもろの地獄の名もなく、もろもろの畜生の〔名もなく〕、ヤマの世界の〔名も〕ないからである。しかも、それら鳥の群れは、かのアミターユス如来によって化作されたものであり、法の声を発している。シャーリプトラよ、かの仏国土は、もろもろのこのような仏国土の功徳の荘厳によって、飾られているのである。

 

[原文07]

T0366_.12.0347a21: 舍利弗。彼佛國土。微風吹動諸寶行樹及寶

T0366_.12.0347a22: 羅網出微妙音。譬如百千種樂同時倶作。

T0366_.12.0347a23: 聞是音者皆自然生念佛念法念僧之心。

T0366_.12.0347a24: 舍利弗。其佛國土成就如是功徳莊嚴

[中村・早島・紀野(1990):国訳07]

舍利弗よ、かの佛國土には、微風吹動するや、もろもろの寶行樹および寶羅網、微妙の音を出す。譬えば、百千種の樂、同時にともになすがごとし。この音を聞く者、みな、自然に念佛・念法・念僧の心を生ず。舍利弗よ、その佛國土には、かくのごときの功徳莊嚴を成就せり。

[浄土真宗聖典編纂委員会編(1996):現代語訳07]

舎利弗よ、またその仏の国では宝の並木や宝の網飾りがそよ風に揺れ、美しい音楽が流れている。それは百千種もの楽器が同時に奏でられているようであり、その音色を聞くものは、だれでもおのずから仏を念じ、法を念じ、僧を念じる心を起すのである。

舎利弗よ、阿弥陀仏の国はこのようなうるわしいすがたをそなえているのである。

[柏原(1980):講義07]

かように、鳥が法をのべるほかに、また風が法の声を起こすこともある。舎利弗よ。かの国には、微かな風が吹いて、疾からず遅からず、静かに七宝の並樹や、宝鈴のたれた羅網を動かすことである。その時、枝や葉は、そよそよと笑い、玉の鈴はからからと鳴る。その音は微妙であって、一つ一つ違っているため、ちょうど百千の音楽を一時に奏するようである。この音を聞くものは、おのずから三宝の恩徳を念う心があらわれてくる。

舎利弗よ。まことにかの国には、このような不可思議の功徳荘厳がそなわっているのである。」

[中村・早島・紀野(1990):梵文和訳07]

7 また次にシャーリプトラよ、かの仏国土では、かのターラ樹の並木や、かの鈴をつけた網が風に吹き動かされるとき、美妙なる快い音が流れ出て来る。シャーリプトラよ、たとえば聖者らが百千億種の天上の楽器を合奏するとき美妙なる快い音が流れ出てくるように、そのように、シャーリプトラよ、かのターラ樹の並木や、かの鈴をつけた網が風に吹き動かされるとき、妙なる快い音が流れ出て来るのだ。かの(世界)の人々は、その音を聞いて、身に仏を念ずる心が起こり、身に法を念ずる心が起こり、身に〈つどい〉を念ずる心が起こる。シャーリプトラよ、かの仏国土は、このような、仏国土特有のみごとな光景で飾られているのだ。、

[山口・桜部・森(2002):梵文和訳07]

(7)さらにまた、シャーリプトラよ、その仏国においては、かのターラ樹の列やかの鈴の網が風でゆり動かされると、美しく快い声が流れ出る。シャーリプトラよ、あたかも名手たちによって十万コーティの音質をもった天の楽器が奏でられると、美しく快い音が流れ出るように、まさにそのように、シャーリプトラよ、かのターラ樹の列やかの鈴の網が風でゆり動かされると、美しく快い声が流れ出る。その声を聞いて、そこにいる人々には、仏を常に思って忘れぬ心がその身に起こり、法を常に思って忘れぬ心がその身に起こり、僧団を常に思って忘れぬ心がその身に起こる。シャーリプトラよ、このような仏国のすぐれた特性を美しくそなえることによって、かの仏国はみごとに飾られている。

[藤田(2015):梵文和訳07]

また、次に、シャーリプトラよ、かしこの仏国土では、かのターラ樹の並木や、かの鈴のついた網が風に吹き動かされるとき、妙なる快い声が流れ出てくる。シャーリプトラよ、あたかも、十万・千万の種類から成る天の楽器が、また聖者たちによって合奏されるとき、妙なる快い声が流れ出てくるように、まさしく同じように、シャーリプトラよ、かのターラ樹の並木や、かの鈴のついた網が風に吹き動かされるとき、妙なる快い声が流れ出てくる。その声を聞いて、かしこにおけるかの人々には、仏に対する隨念が身に生じ、法に対する隨念が身に生じ、僧団に対する隨念が身に生じる。シャーリプトラよ、かの仏国土は、もろもろのこのような仏国土の功徳の荘厳によって、飾られているのである。

 

[原文08]

T0366_.12.0347a25: 舍利弗。於汝意云何。彼佛何故號阿彌陀。

T0366_.12.0347a26: 舍利弗。彼佛光明無量。照十方國無所障

T0366_.12.0347a27: 礙。是故號爲阿彌陀。又舍利弗。彼佛壽命。

T0366_.12.0347a28: 及其人民無量無邊阿僧祇劫。故名阿彌

T0366_.12.0347a29: 陀。

[中村・早島・紀野(1990):国訳08]

舍利弗よ、汝が意においていかに。かの佛、何がゆえに、阿彌陀と號する。舍利弗よ、かの佛、光明無量にして、十方の國を照すに、障礙するところなし。このゆえに、號して阿彌陀とす。また、舍利弗よ、かの佛の壽命およびその人民(の寿命)も、無量無邊・阿僧祇劫なり。かるがゆえに阿彌陀と名づく。

[浄土真宗聖典編纂委員会編(1996):現代語訳08]

舎利弗よ、そなたはどう思うか。なぜその仏を阿弥陀と申しあげるのだろうか。

舎利弗よ、その仏の光明には限りがなく、すべての国々を照らして何ものにもさまたげられることがない。そこで阿弥陀と申しあげるのである。

また舎利弗よ、その仏の寿命とその国の人々の寿命もともに限りがなく、実にはかり知れないほど長い。それで阿弥陀と申しあげるのである。

[柏原(1980):講義08]

「舎利弗よ。かの国の仏を阿弥陀と名づけたてまつるのは何故であろう。汝はどう考えるか。

舎利弗よ。かの仏の御光明は無量であって、あまねく十方の世界を照らして、行きとどかせられぬところがない。どんなところでも障礙(さわり)なくお照らしになることである。それゆえ、彼の仏を阿弥陀、すなわち無量光と申しあげるのである。また舎利弗よ。かの仏の御寿命も、またその国の人々の寿命も限りなく極まりなく、心も言葉もおよばぬほど長い時間であられる。それゆえ、かの仏を阿弥陀、すなわち無量寿と申しあげるのである。

[中村・早島・紀野(1990):梵文和訳08]

9 シャーリプトラよ、そなたはどう思うか―どういうわけで、かの如来は、無量光(アミターバ・かぎりなき光)と名づけられるのであろうか。まことにシャーリプトラよ、かの如来の光は、一切の仏国土において、礙げられることがない。こういうわけで、かの如来は「無量光」(アミターバ)と名づけられるのだ。またシャーリプトラよ、かの如来について〈教えを聞く修行者〉たちのなかまは無量であり、かの清らかな〈敬わるべき者〉たちの数は量りがたい。シャーリプトラよ。かの仏国土は、このような、仏国土特有のみごとな光景で飾られているのだ。

[山口・桜部・森(2002):梵文和訳08]

(9)そなたはこれをいかに考えるか。シャーリプトラよ、どうしてかの如来を名づけてアミターバ(無量光)というのか。まことに、シャーリプトラよ、かの如来の光明は、あらゆる仏国において、(何ものにも)さえぎられることがない。それゆえに、かの如来を名づけてアミターバというのである。そして、シャーリプトラよ、かの如来の弟子の僧団(の人数)は量り知れない。そのうちで、清浄な、尊敬されるべき人(阿羅漢)たちの数(だけに限っても、それ)を数えあげるのは容易ではない。シャーリプトラよ、このような仏国のすぐれた特性を美しくそなえることによって、かの仏国はみごとに飾られている。

[藤田(2015):梵文和訳08]

シャーリプトラよ、これをどう思うか―どういうわけで、かの如来はアミターバ(無量の光をもつ者)と名づけられるのであろうか。まことに、シャーリプトラよ、かの如来の光は、一切の仏国土において、さまたげられることがない。こういうわけで、かの如来はアミターバと名づけられるのである。

また、シャーリプトラよ、かの如来の声聞の僧団は無量であり、かれら清浄な阿羅漢たちの数量を述べることは容易ではない。シャーリプトラよ、かの仏国土は、もろもろのこのような仏国土の功徳の荘厳によって、飾られているのである。

 

[原文09]

T0366_.12.0347a29:   舍利弗。阿彌陀佛成佛已來於今十劫。又

T0366_.12.0347b01: 舍利弗。彼佛有無量無邊聲聞弟子。皆阿羅

T0366_.12.0347b02: 漢。非是算數之所能知。諸菩薩亦復如是。

T0366_.12.0347b03: 舍利弗。彼佛國土成就如是功徳莊嚴

[中村・早島・紀野(1990):国訳09]

舍利弗よ、阿彌陀佛、佛と成りてよりこのかた、いまに十劫なり。また、舍利弗よ、かの佛に無量無邊の聲聞の弟子あり。みな、阿羅漢にして、これ、算數のよく知るところにあらず。もろもろの菩薩衆も、また、かくのごとし。舍利弗よ、かの佛國土には、かくのごときの功徳莊嚴を成就せり。

[浄土真宗聖典編纂委員会編(1996):現代語訳09]

舎利弗よ、この阿弥陀仏が仏になられてから、今日まですでに十劫という長い時が過ぎている。また舎利弗よ、その仏のもとには数限りない声聞の弟子たちがいて、みな阿羅漢のさとりを得ている。その数の多いことは、とても数え尽すことができない。また菩薩たちの数もそれと同じく、数え尽くすことができない。舎利弗よ、阿弥陀仏の国はこのようなうるわしいすがたをそなえているのである。

[柏原(1980):講義09]

舎利弗よ。このような光明無量、寿命無量の仏は、仏となられてから、すでに十劫を歴(へ)られた。まことにこの十劫の長い間、衆生あわれみの心をもって、一切衆生の往生することを待ちこがれておられるのである。」

「舎利弗よ。前に阿弥陀仏のことを説いたが、この阿弥陀仏には、無数の声聞の弟子がいられる。これらの声聞衆は、みな阿羅漢の極位をさとっておられる。その数の多いことは、計算することができない。もっとも、かの極楽国は主伴平等といって、阿弥陀仏もそのお弟子も、みな平等の覚体(さとりのかた)であるから、別に声聞衆という差別の方々はないけれども、いまはわかりやすいように、他方の国の声聞にならって、かりに声聞と名づけたということを忘れてはならない。菩薩衆の無量であることも、声聞衆と少しもかわらない。舎利弗よ。かの仏の国は、このような徳たかい聖衆によって荘厳せられている。

[中村・早島・紀野(1990):梵文和訳09]

8 シャーリプトラよ、そなたはどう思うか―どういうわけで、かの如来は、無量寿(アミターユス・かぎりなき命)と名づけられるであろうか。まことに、シャーリプトラよ、かの如来と、かの人々の寿命の量は無量である。こういうわけで、かの如来を〈無量寿〉と名づけられるのだ。またシャーリプトラよ、かの如来がこの上ない正しい覚りを覚り得てから(今までで)十劫を経ているのだ。

[山口・桜部・森(2002):梵文和訳09]

(8)そなたはこれをいかに考えるか。シャーリプトラよ、どうしてかの如来を名づけてアミターユス(無量寿)というのか。まことに、シャーリプトラよ、かの如来およびかの(仏国の)人々の寿命の量は量り知れない。それゆえに、かの如来を名づけてアミターユスというのである。そして、シャーリプトラよ、かの如来がこの上ない完全なさとりをさとって以来、すでに十カルパ(の時を経ているの)である。

[藤田(2015):梵文和訳09]

シャーリプトラよ、これをどう思うか―どういうわけで、かの如来はアミターユスと名づけられるのであろうか。まことに、シャーリプトラよ、かの如来と、かの人々の寿命の量は無量である。こういうわけで、かの如来はアミターユスと名づけられるのである。また、シャーリプトラよ、かの如来が無上なる正等覚をさとられてから、十劫〔を経ているの〕である。

 

[原文10]

T0366_.12.0347b04: 又舍利弗。極樂國土衆生生者皆是阿鞞跋

T0366_.12.0347b05: 致。其中多有一生補處。其數甚多。非是

T0366_.12.0347b06: 算數所能知之。但可以無量無邊阿僧祇

T0366_.12.0347b07: 劫説。

[中村・早島・紀野(1990):国訳10]

また、舍利弗よ、極樂國土には、衆生生まれん者、みな、これ阿鞞跋致なり。その中に多く、一生補處(の菩薩)あり。その數、甚だ多し。これ、算數のよくこれを知るところにあらず。ただ、無量無邊・阿僧祇劫をもって説くべし。

[浄土真宗聖典編纂委員会編(1996):現代語訳10]

また舎利弗よ、極楽世界に生れる人々はみな不退転の位に至る。その中には一生補処という最上の位の菩薩たちもたくさんいる。その数は実に多く、とても数え尽すことができない。それを説くには限りない時をかけなければならない。

[柏原(1980):講義10]

舎利弗よ。極楽世界はこのように楽しいところである。そこには、樹々が栄え、水がただよい、華がふり、鳥がなき、風が渡って、光りの仏、証の弟子が住んでいられる。この極楽世界の衆生に生まれるものは、みな不退転の菩薩である。その中には、多くまた一生補処の菩薩がおられることである。これらの数は無量であって、なかなか数え尽くすことはできない。ただ無量無辺阿僧祇劫の長時間かかったならば、あるいは説き尽くすことが出来るかもしれない。しかしこうしたところで、恐らく難しいことであろう。」

[中村・早島・紀野(1990):梵文和訳10]

10 また次にシャーリプトラよ、無量寿如来の仏国土に生まれた生ける者どもは、清らかな求道者であり、(覚りを求める心がまえから)退くことのない者であり、〈なお一つの生涯だけ迷いの世に繫がれた者〉なのである。シャーリプトラよ、その求道者たちの数は、数え切れないのであって、ただ〈無量無数〉と称するよりほかにないのだ。

[山口・桜部・森(2002):梵文和訳10]

(10)さらにまた、シャーリプトラよ、およそ有情にしてアミターユス如来の仏国に生まれるものは、清浄で、(さとりへの道において)後退することなく、(もはやこの)一生(だけ迷いの世界に)つながれている(にすぎない)菩薩である。シャーリプトラよ、それら菩薩の数を数えあげるのは容易でなく、ただ無量・無数であると数えるほかはない。

[藤田(2015):梵文和訳10]

また、次に、シャーリプトラよ、アミターユス如来の仏国土に生まれた衆生たちは、清浄な菩薩であり、退転しない者であり、一生だけ〔ここに〕つながれた者(一生所繫)である。シャーリプトラよ、かれら菩薩たちの数量は、〈無量・無数である〉と称される以外に、述べることは容易ではない。

 

[原文11]

T0366_.12.0347b07:    舍利弗。衆生聞者。應當發願願生

T0366_.12.0347b08: 彼國。所以者何。得與如是諸上善人倶會

T0366_.12.0347b09: 一處。舍利弗。不可以少善根福徳因縁得

T0366_.12.0347b10: 生彼國。

[中村・早島・紀野(1990):国訳11]

舍利弗よ、衆生(極楽国土および阿弥陀仏と聖衆のことを)聞かん者、まさに願を發して、かの國に生まれんと願うべし。所以はいかに。かくのごときのもろもろの上善人と、ともに一處に會うことをうればなり。舍利弗よ、少なる善根・福徳の因縁をもって、かの國に生まるることをうべからず。

[浄土真宗聖典編纂委員会編(1996):現代語訳11]

舎利弗よ、このようなありさまを聞いたなら、ぜひともその国に生れたいと願うがよい。そのわけは、これらのすぐれた聖者たちと、ともに同じところに集うことができるからである。しかしながら舎利弗よ、わずかな功徳を積むだけでは、とてもその国に生れることはできない。

[柏原(1980):講義11]

舎利弗よ。上に極楽浄土の妙なる有様や、阿弥陀仏および聖衆の御徳のすぐれられることを述べた。これを聞く一切衆は、まさに願を起こしてかの国に生まれたいとおもうがよい。なぜならば、この娑婆界は貪・瞋・痴の三毒の煩悩があって、少しも清浄なものはない。しかるに、かの国には前に述べたような菩薩・声聞衆の勝れた善い人と一処に会うことができ、自在に法を聞き得るからである。」

「舎利弗よ。かの安楽国に生まれたいと願うたところで、仏の本願にかなわぬ少ない善根功徳の因縁では生まれることができぬ。

[中村・早島・紀野(1990):梵文和訳11]

またシャーリプトラよ、生ける者どもは、かの仏国土に(生まれたいという)願いをおこすべきである。それは何故であるかというと、かの(世界)で、実に、このような善き人々と、ともに会うことになるからである。シャーリプトラよ。生ける者どもは僅かばかりの善行によって無量寿如来の仏国土に生まれることはできない。

[山口・桜部・森(2002):梵文和訳11]

まことに、シャーリプトラよ、有情たちはかの仏国に(生まれようと)誓願をたてるべきである。それはどうしてか。そこにおいては、実に、このような善き人々とともに相会することになるからである。シャーリプトラよ、有情がわずかばかりの善根によってアミターユス如来の仏国に生まれることはない。

[藤田(2015):梵文和訳11]

まことに、シャーリプトラよ、衆生たちは、かしこの仏国土に向けて誓願をなすべきである。それはなぜであるか。そこでは、実に、このような善き人たちとともに会うことになるからである。シャーリプトラよ、衆生たちは、少しばかりの善根によっては、アミターユス如来の仏国土に生まれないのである。

 

[原文12]

T0366_.12.0347b10:     舍利弗。若有善男子善女人。聞説

T0366_.12.0347b11: 阿彌陀佛。執持名號。若一日。若二日。若三

T0366_.12.0347b12: 日。若四日。若五日。若六日。若七日。一心

T0366_.12.0347b13: 不亂。其人臨命終時。阿彌陀佛與諸聖衆。

T0366_.12.0347b14: 現在其前。是人終時心不顛倒。即得往生

T0366_.12.0347b15: 阿彌陀佛極樂國土。

[中村・早島・紀野(1990):国訳12]

舍利弗よ、もし善男子・善女人ありて、阿彌陀佛(の名号)を説くことを聞き、名號を執持せんに、もしは一日、もしは二日、もしは三日、もしは四日、もしは五日、もしは六日、もしは七日(の間)、一心不亂ならば、その人命終る時に臨んで、阿彌陀佛、もろもろの聖衆とともに、現じてその前に在さん。この人(命)終る時、心、顛倒せず。(命終るや)すなわち阿彌陀佛の極樂國土に往生することをえん。

[浄土真宗聖典編纂委員会編(1996):現代語訳12]

舎利弗よ、もし善良なものが、阿弥陀仏の名号を聞き、その名号を心にとどめ、あるいは一日、あるいは二日、あるいは三日、あるいは四日、あるいは五日、あるいは六日、あるいは七日の間、一心に思いを乱さないなら、その人が命を終えようとするときに、阿弥陀仏が多くの聖者たちとともにその前に現れてくださるのである。そこでその人がいよいよ命を終えるとき、心が乱れ惑うことなく、ただちに阿弥陀仏の極楽世界に生れることができる。

[柏原(1980):講義12]

「舎利弗よ。もし宿世(さきのよ)に善根を植えて、仏の教えを信じ得るところの善男善女があって、今のように阿弥陀仏のお慈悲を説きのべることを聞いたならば、よろしく功徳すぐれたその名号を信じ、時の多少をいわず念仏して、一心に余へ心を散らさぬようにせよ。」

「上のように念仏する人は、命が終わろうとするときに、阿弥陀仏は聖衆と一緒にその人の前に現れて護られることである。そしてまったく息を引きとるまで、心にいただいた信心の味わいは、仏の大慈悲のお力によって少しも変わらず、そのまま続いて遂に極楽国に往生させていただくことである。」

[中村・早島・紀野(1990):梵文和訳12]

シャーリプトラよ。立派な若者や、あるいは、立派な娘があって、かの世尊・無量寿如来の名を聞き、聞いて心の中で考え、あるいは一夜、あるいは二夜、あるいは三夜、あるいは四夜、あるいは五夜、あるいは六夜、あるいは七夜の間、心を散乱させることなく、心の中でよく考えたならば、その立派な若者や、あるいは立派な娘の臨終のときに、かの無量寿如来は、〈教えを聞く修行者〉たちの群にとり巻かれ、求道者たちの群に敬われて、かの臨終の者の前に立たれるであろう。その人は、(死の恐怖などで)心が顛倒するようなこともなく死ぬであろう。その人は、死んで、かの無量寿如来の仏国土である〈幸あるところ〉という世界に生れるであろう。

[山口・桜部・森(2002):梵文和訳12]

シャーリプトラよ、およそいかなる良家の男子あるいは良家の女子にもせよ、かの世尊アミターユス如来の名を聞くであろうならば、そして、聞いて(それに)向けて思いをそそぐであろうならば、(すなわち)あるいは一夜、あるいは二夜、あるいは三夜、あるいは四夜、あるいは五夜、あるいは六夜、あるいは七夜、心が散り乱れることなく(それに)向けて思いをこらすであろうならば、その良家の男子あるいは良家の女子の死の時にあたって、かのアミターユス如来は、弟子の僧団にとり囲まれ、菩薩の集団に恭敬されて、その死に臨んでいるものの面前に立つであろう。そして、その人は心が動転することなく(安らかに)死するであろう。彼は死して、まさしくかのアミターユス如来の仏国である安楽世界に生れるであろう。

[藤田(2015):梵文和訳12]

シャーリプトラよ、およそいかなる良家の男子または良家の女子であっても、かの世尊アミターユス如来の名を聞き、聞いて思念し、あるいは一夜、あるいは二夜、あるいは三夜、あるいは四夜、あるいは五夜、あるいは六夜、あるいは七夜の間、散乱しない心をもって思念するであろうならば、かの良家の男子または良家の女子が死ぬであろうときに、かのアミターユス如来は、声聞の僧団にとりまかれ、菩薩のの集団に恭敬されて、かの死に臨んでいる者の面前に立たれるであろう。そして、かの者は心が顛倒することなく死ぬであろう。かの者は死んでから、まさしくかのアミターユス如来の仏国土である極楽世界に生れるであろう。

 

[原文13]

T0366_.12.0347b15:          舍利弗。我見是利故

T0366_.12.0347b16: 説此言。若有衆生聞是説者。應當發願

T0366_.12.0347b17: 生彼國土

[中村・早島・紀野(1990):国訳13]

舍利弗よ、われ、この利を見る。かるがゆえにこの言を説く、『もし、衆生ありてこの説を聞かば、まさに願を發して、かの國土に生まるべし』と。

[浄土真宗聖典編纂委員会編(1996):現代語訳13]

舎利弗よ、わたしはこのような利益があることをよく知っているから、このことを説くのである。もし人々がこの教えを聞いたなら、ぜひともその国に生れたいと願うがよい。

[柏原(1980):講義13]

「舎利弗よ。われは実際、上に述べたような利益を親しく見ている。それゆえ、かような説教をするのである。わがいうところには、少しも偽りがない。されば世の人々よ。この語を聞いたならば、まさにこれを信じてかの安楽国に往生したいという願を発(おこ)せ。」

[中村・早島・紀野(1990):梵文和訳13]

それ故に、シャーリプトラよ、この道理を認識するから、わたしはこのように言う―『立派な若者や、あるいは立派な娘は、かの仏国土に生れたいと、心をこめて、誓願をおこすべきである。』と。

[山口・桜部・森(2002):梵文和訳13]

それゆえに、ここで、シャーリプトラよ、以上の次第を知るから、私は次のように説くのである。「良家の男子あるいは良家の女子は、つつしんで、かの仏国に(生まれようと)心に誓願をたてるべきである」(と。)

[藤田(2015):梵文和訳13]

それゆえに、シャーリプトラよ、ここで〔わたくしは〕この道理を見て、このように説く―『良家の男子または良家の女子は、つつしんで、かしこの仏国土に向けて心に誓願をなすべきである』〔と〕。

 

[原文14]

T0366_.12.0347b18: 舍利弗。如我今者讃歎阿彌陀佛不可思議

T0366_.12.0347b19: 功徳。東方亦有阿閦鞞佛。須彌相佛。大須

T0366_.12.0347b20: 彌佛。須彌光佛。妙音佛。如是等恒河沙數諸

T0366_.12.0347b21: 佛。各於其國出廣長舌相。遍覆三千大千

T0366_.12.0347b22: 世界説誠實言。汝等衆生當信是稱讃

T0366_.12.0347b23: 不可思議功徳一切諸佛所護念經

[中村・早島・紀野(1990):国訳14]

舍利弗よ、われ、いま、阿彌陀佛の不可思議の功徳を讃歎するごとく、(かくのごとく)東方にもまた、阿閦鞞佛、須彌相佛、大須彌佛、須彌光佛、妙音佛、かくのごときらの恒河の沙の數(ほど)の諸佛ありて、おのおの、その國において、廣長の舌相を出し、あまねく三千大千世界を覆いて、(この)誠實の言を説きたもう、『汝ら衆生よ、まさに、この、〈(阿弥陀仏の)不可思議の功徳を稱讃する、一切諸佛に護念せらる(と名づくる)經〉を信ずべし』と。

[浄土真宗聖典編纂委員会編(1996):現代語訳14]

舎利弗よ、わたしが今、阿弥陀仏の不可思議な功徳をほめたたえているように、東方の世界にも、また阿閦鞞佛・須彌相佛・大須彌佛・須彌光佛・妙音佛など、ガンジス河の砂の数ほどのさまざまな仏がたがおられ、それぞれの国でひろく舌相を示して、世界のすみずみにまで阿弥陀仏のすぐれた徳が真実であることをあらわし、まごころをこめて、〈そなたたち世の人々よ、この《阿弥陀仏の不可思議な功徳をほめたたえて、すべての仏がたがお護りくださる経》を信じるがよい〉と仰せになっている。

[柏原(1980):講義14]

「舎利弗よ。これはわればかりではない。一切の諸仏も、われと同じように、阿弥陀仏の心も言葉も及ばぬ不可思議の功徳を讃めたたえたまうことである。今からこれを述べてみよう。

まず第一は東方の諸仏である。すなわち東方には阿閦鞞佛・須彌相佛・大須彌佛・須彌光佛・妙音佛のような恒沙無量の諸仏がいらせられて、おのおの御自身の御国において大きな舌を出して、その舌で徧(あまね)く三千大千世界を覆うて、いつわりなき説法をあそばされる。申されるには、「汝等、我が国の衆生よ。まさに、かの阿弥陀仏の不可思議功徳を称揚讃歎(ほめあげ)するところの、『一切諸仏所護念経』を信ぜよ」と。

[中村・早島・紀野(1990):梵文和訳14]

11 シャーリプトラよ。わたしが今、かの(世界を)ほめたたえているように、そのように、シャーリプトラよ、東方においては、アクショービヤ(不動なる者)と名づける如来、メール・ドバジャ(スメールの幡をもつ者)と名づける如来、マハー・メール(大いなる須弥山)と名づける如来、メール・プラバーサ(須弥山の輝きある者)と名づける如来、マンジュ・ドバジャ(妙なる幡をもつ者)と名づける如来がまします。シャーリプトラよ。東方において、このような(如来たち)をはじめとして、ガンジス河の砂のように(無数に在す)仏・世尊たちは、舌でもって、各自の仏国土をすっかり覆って、はっきりと言われる―『そなたたちは、この〈不可思議な功徳の称讃〉〈一切の仏たちのすっかりまもるところ〉と名づけられる法門を信じなさい。』と。

[山口・桜部・森(2002):梵文和訳14]

(11)シャーリプトラよ、あたかも私がいま、そ(の安楽世界)をほめ讃えているように、まさに同様に、シャーリプトラよ、東方では、アクショービヤ(不動のもの)と名づける如来、メールドヴァジャ(須弥山のをもつもの)と名づける如来、マハーメール(大きな須弥山)と名づける如来、メールプラバーサ(須弥山の輝きをもつもの)と名づける如来、マンジュドヴァジャ(妙なるをもつもの)と名づける如来らが(安楽世界をほめ讃えている)。このような(如来たち)を首座として、シャーリプトラよ、東方では、ガンガー河の砂(の数)に等しい諸仏・世尊が、それぞれの仏国を、舌でもっておおって(次のように)説示している。「そなたたちは、『(安楽世界の)不可思議ですぐれた(諸)特性のほめ讃え』『すべての仏たちによる(有情の)おさめとり』と名づけるこの法門を信受せよ」(と。)

[藤田(2015):梵文和訳14]

シャーリプトラよ、あたかも、わたくしが今、かの〔極楽世界〕を称讃しているように、まさしく同じように、シャーリプトラよ、東方において、アクショービヤ(不動な者)と名づける如来、メール・ドヴァジャ(須弥山のをもつ者)と名づける如来、マハー・メール(大いなる須弥山)と名づける如来、メール・プラバーサ(須弥山の光輝をもつ者)と名づける如来、マンジュ・ドヴァジャ(妙なるをもつ者)と名づける如来がおられるが、シャーリプトラよ、このような〔如来たち〕をはじめとして、東方におけるガンジス河の砂のごとき仏・世尊たちは、各々の仏国土を、舌をもってあまねく覆って、明言されている―『そなたたちは、この<不可思議な功徳の称讃、一切の仏たちの摂受>と名づける法門を信受せよ』〔と〕。

 

[原文15]

T0366_.12.0347b24: 舍利弗。南方世界有日月燈佛。名聞光佛。

T0366_.12.0347b25: 大焔肩佛。須彌燈佛。無量精進佛。如是等恒

T0366_.12.0347b26: 河沙數諸佛。各於其國出廣長舌相。遍覆

T0366_.12.0347b27: 三千大千世界説誠實言。汝等衆生當信

T0366_.12.0347b28: 是稱讃不可思議功徳一切諸佛所護念經」

[中村・早島・紀野(1990):国訳15]

舍利弗よ、南方世界に、日月燈佛、名聞光佛、大焔肩佛、須彌燈佛、無量精進佛、かくのごときらの恒河の沙の數(ほど)の諸佛ありて、おのおの、その國において、廣長の舌相を出し、あまねく三千大千世界を覆いて、(この)誠實の言を説きたもう、『汝ら衆生よ、まさに、この、〈不可思議の功徳を稱讃する、一切諸佛に護念せらる(と名づくる)經〉を信ずべし』と。

[浄土真宗聖典編纂委員会編(1996):現代語訳15]

舎利弗よ、また南方の世界にも、日月燈佛・名聞光佛・大焔肩佛・須彌燈佛・無量精進佛など、ガンジス河の砂の数ほどのさまざまな仏がたがおられ、それぞれの国でひろく舌相を示して、世界のすみずみにまで阿弥陀仏のすぐれた徳が真実であることをあらわし、まごころをこめて、〈そなたたち世の人々よ、この《阿弥陀仏の不可思議な功徳をほめたたえて、すべての仏がたがお護りくださる経》を信じるがよい〉と仰せになっている。

[柏原(1980):講義15]

「舎利弗よ。第二には南の方の世界に、日月燈佛・名聞光佛・大焔肩佛・須彌燈佛・無量精進佛のような恒沙無量の諸仏がましまして、おのおの御自身の国において、徧く三千大千世界を覆うほどの舌を出して、誠の法を説かれる。すなわち申されるには、「汝等、我が国の衆生よ。まさに、この阿弥陀仏の不可思議功徳を称揚讃歎するところの『一切諸仏所護念経』を信ぜよ」と。

[中村・早島・紀野(1990):梵文和訳15]

12 同じように、南方において、チャンドラ・スーリヤ・プラディーパ(月と太陽のごとき灯明ある者)と名づける如来、ヤショー・プラバ(ほまれの光ある者)と名づける如来、マハー・ルチ・スカンダ(大いなる炎のかたまりをもつ者)と名づける如来、メール・プラディーパ(須弥山のごときの灯明ある者)と名づける如来、アナンタ・ヴィーリヤ(限りなき精進をなす者)と名づける如来がいる。シャーリプトラよ。南方において、このような(如来たち)をはじめとして、ガンジス河の砂のように(無数に在す)仏・世尊たちは、舌でもって、各自の仏国土をすっかり覆って、はっきりと言われる―『そなたたちは、この〈不可思議な功徳の称讃〉〈一切の仏たちのすっかりまもるところ〉と名づけられる法門を信じなさい。』と。

[山口・桜部・森(2002):梵文和訳15]

(12)同じように、南方では、チャンドラスーリヤプラディーパ(月や太陽のごとき燈明をもつもの)と名づける如来、ヤシャハプラバ(名声という光明をもつもの)と名づける如来、マハールチスカンダ(大いなる炎のかたまりをもつもの)と名づける如来、メールプラディーパ(須弥山のごとき燈明をもつもの)と名づける如来、アナンタヴィーリヤ(限りない勇猛心をもつもの)と名づける如来らが(安楽世界をほめ讃えている)。このような(如来たち)を首座として、シャーリプトラよ、南方では、ガンガー河の砂(の数)に等しい諸仏・世尊が、それぞれの仏国を、舌でもっておおって(次のように)説示している。「そなたたちは、『(安楽世界の)不可思議ですぐれた(諸)特性のほめ讃え』『すべての仏たちによる(有情の)おさめとり』と名づけるこの法門を信受せよ」(と。)

[藤田(2015):梵文和訳15]

同じように、南方において、チャンドラ・スーリヤ・プラディーパ(月と太陽の灯火をもつ者)と名づける如来、ヤシャ・プラバ(名声ある光明をもつ者)と名づける如来、マハールチ・スカンダ(大いなる炎のかたまりをもつ者)と名づける如来、メール・プラディーパ(須弥山の灯火をもつ者)と名づける如来、アナンタ・ヴィーリヤ(無限の精進をする者)と名づける如来がおられるが、シャーリプトラよ、このような〔如来たち〕をはじめとして、南方におけるガンジス河の砂のごとき仏・世尊たちは、各々の仏国土を、舌をもってあまねく覆って、明言されている―『そなたたちは、この<不可思議な功徳の称讃、一切の仏たちの摂受>と名づける法門を信受せよ』〔と〕。

 

[原文16]

T0366_.12.0347b29: 舍利弗。西方世界有無量壽佛。無量相佛。

T0366_.12.0347c01: 無量幢佛。大光佛。大明佛。寶相佛。淨光佛。

T0366_.12.0347c02: 如是等恒河沙數諸佛。各於其國出廣長

T0366_.12.0347c03: 舌相。遍覆三千大千世界説誠實言。汝等

T0366_.12.0347c04: 衆生。當信是稱讃不可思議功徳一切諸佛

T0366_.12.0347c05: 所護念經

[中村・早島・紀野(1990):国訳16]

舍利弗よ、西方世界に、無量壽佛、無量相佛、無量幢佛、大光佛、大明佛、寶相佛、淨光佛、かくのごときらの恒河の沙の數(ほど)の諸佛ありて、おのおの、その國において、廣長の舌相を出し、あまねく三千大千世界を覆いて、(この)誠實の言を説きたもう、『汝ら衆生よ、まさに、この、〈不可思議の功徳を稱讃する、一切諸佛に護念せらる(と名づくる)經〉を信ずべし』と。

[浄土真宗聖典編纂委員会編(1996):現代語訳16]

舍利弗よ、また西方の世界にも、無量壽佛・無量相佛・無量幢佛・大光佛・大明佛・寶相佛・淨光佛など、ガンジス河の砂の数ほどのさまざまな仏がたがおられ、それぞれの国でひろく舌相を示して、世界のすみずみにまで阿弥陀仏のすぐれた徳が真実であることをあらわし、まごころをこめて、〈そなたたち世の人々よ、この《阿弥陀仏の不可思議な功徳をほめたたえて、すべての仏がたがお護りくださる経》を信じるがよい〉と仰せになっている。

[柏原(1980):講義16]

「舎利弗よ。第三には、西の方の世界に、無量壽佛・無量相佛・無量幢佛・大光佛・大明佛・寶相佛・淨光佛のような恒沙無量の諸仏がまします。これら諸仏はみな自らの国において、広長の舌をもつて徧く三千大千世界を覆い、実諦(まこと)の法を説かれる。すなわち告げられるには、「汝等、我が国の衆生よ。まさに、この阿弥陀仏の不可思議功徳を讃歎するところの『一切諸仏所護念経』を信ぜよ」と。

[中村・早島・紀野(1990):梵文和訳16]

13 同じように、西方において、アミターユス(無量寿)と名づける如来、アミタ・スカンダ(無量のかたまりをもつ者)と名づける如来、アミタ・ドバジャ(無量なる幡をもつ者)と名づける如来、マハー・プラバ(大いなる光輝ある者)と名づける如来、マハー・ラトナケートゥ(大いなる宝のをもつ者)と名づける如来、シュッダ・ラシュミ・プラバ(清らかな光線の光明ある者)と名づける如来がまします。シャーリプトラよ。西方において、このような(如来たち)をはじめとして、ガンジス河の砂のように(無数に在す)仏・世尊たちは、舌でもって、各自の仏国土をすっかり覆って、はっきりと言われる―『そなたたちは、この〈不可思議な功徳の称讃〉〈一切の仏たちのすっかりまもるところ〉と名づけられる法門を信じなさい。』と。

[山口・桜部・森(2002):梵文和訳16]

(13)同じように、西方では、アミターユス(無量の寿命をもつもの)と名づける如来、アミタスカンダ(無量の炎のかたまりをもつもの)と名づける如来、アミタドヴァジャ(無量のをもつもの)と名づける如来、マハープラバ(大光明をもつもの)と名づける如来、マハーラトナケートゥ(大いなる宝のをもつもの)と名づける如来、シュッダラシュミプラバ(浄らかな光線を放つ光明をもつもの)と名づける如来らが(安楽世界をほめ讃えている)。このような(如来たち)を首座として、シャーリプトラよ、西方では、ガンガー河の砂(の数)に等しい諸仏・世尊が、それぞれの仏国を、舌でもっておおって(次のように)説示している。「そなたたちは、『(安楽世界の)不可思議ですぐれた(諸)特性のほめ讃え』『すべての仏たちによる(有情の)おさめとり』と名づけるこの法門を信受せよ」(と。)

[藤田(2015):梵文和訳16]

同じように、西方において、アミターユス(無量の寿命をもつ者)と名づける如来、アミタ・スカンダ(無量のかたまりをもつ者)と名づける如来、アミタ・ドヴァジャ(無量のをもつ者)と名づける如来、マハー・プラバ(大いなる光明をもつ者)と名づける如来、マハー・ラトナ・ケートゥ(大いなる宝石の旗をもつ者)と名づける如来、シュッダ・ラシュミ・プラバ(清浄な光線の光明をもつ者)と名づける如来がおられるが、シャーリプトラよ、このような〔如来たち〕をはじめとして、西方におけるガンジス河の砂のごとき仏・世尊たちは、各々の仏国土を、舌をもってあまねく覆って、明言されている―『そなたたちは、この<不可思議な功徳の称讃、一切の仏たちの摂受>と名づける法門を信受せよ』〔と〕。

 

[原文17]

T0366_.12.0347c06: 舍利弗。北方世界有焔肩佛。最勝音佛。難

T0366_.12.0347c07: 沮佛。日生佛。網明佛。如是等恒河沙數諸

T0366_.12.0347c08: 佛。各於其國出廣長舌相遍覆三千大千

T0366_.12.0347c09: 世界説誠實言。汝等衆生。當信是稱讃不

T0366_.12.0347c10: 可思議功徳一切諸佛所護念經

[中村・早島・紀野(1990):国訳17]

舍利弗よ、北方世界に、焔肩佛、最勝音佛、難沮佛、日生佛、網明佛、かくのごときらの恒河の沙の數(ほど)の諸佛ありて、おのおの、その國において、廣長の舌相を出し、あまねく三千大千世界を覆いて、(この)誠實の言を説きたもう、『汝ら衆生よ、まさに、この、〈不可思議の功徳を稱讃する、一切諸佛に護念せらる(と名づくる)經〉を信ずべし』と。

[浄土真宗聖典編纂委員会編(1996):現代語訳17]

舍利弗よ、また北方の世界にも、焔肩佛・最勝音佛・難沮佛・日生佛・網明佛など、ガンジス河の砂の数ほどのさまざまな仏がたがおられ、それぞれの国でひろく舌相を示して、世界のすみずみにまで阿弥陀仏のすぐれた徳が真実であることをあらわし、まごころをこめて、〈そなたたち世の人々よ、この《阿弥陀仏の不可思議な功徳をほめたたえて、すべての仏がたがお護りくださる経》を信じるがよい〉と仰せになっている。

[柏原(1980):講義17]

「舎利弗よ。第四に北方の世界に、焔肩佛・最勝音佛・難沮佛・日生佛・網明佛など恒沙の諸仏がまします。これら諸仏は、みな自国において、広長の舌をもつて徧く三千大千世界を覆い、誠の説法をあそばされる。そして証明して申されるには、「汝等、衆生よ、まさにこの阿弥陀仏の不可思議の功徳を讃称するところの『一切諸仏所護念経』を信ぜよ」と。

[中村・早島・紀野(1990):梵文和訳17]

14 同じように、北方において、マハー・ルチ・スカンダ(大いなる炎のかたまりをもつ者)と名づけられる如来、ヴァイシヴァーナラ・ゴーシャ(その音があまねく鳴りひびいている者)と名づけられる如来、ドゥンドゥビ・スヴァラ・ニルゴーシャ(その音声が太鼓のひびきのごとき者)と名づけられる如来、ドゥシプラダルシャ(襲い難き者)と名づけられる如来、アーディティヤ・サンバヴァ(太陽から生まれた者)と名づけられる如来、ジャーリニー・プラバ(網のようにひろく覆う光明ある者)と名づけられる如来、プラバーカラ(光を放つ者、太陽)と名づけられる如来がいる。シャーリプトラよ。北方において、このような(如来たち)をはじめとして、ガンジス河の砂のように(無数に在す)仏・世尊たちは、舌でもって、各自の仏国土をすっかり覆って、はっきりと言われる―『そなたたちは、この〈不可思議な功徳の称讃〉〈一切の仏たちのすっかりまもるところ〉と名づけられる法門を信じなさい。』と。

[山口・桜部・森(2002):梵文和訳17]

(14)同じように、北方では、マハールチスカンダと名づける如来、ヴァイシュヴァーラナニルゴーシャ(あまねくとどく声をもつもの)と名づける如来、ドゥンドゥビスヴァラニルゴーシャ(鼓の音のような声をもつもの)と名づける如来、ドゥシュプラダルシャ(おかしがたいもの)と名づける如来、アーディティヤサンバヴァ(太陽から生まれたもの)と名づける如来、ジャーリニープラバ(網のように広くおおう光明をもつもの)と名づける如来、プラバーカラ(光明を放つもの)と名づける如来らが(安楽世界をほめ讃えている)。このような(如来たち)を首座として、シャーリプトラよ、北方では、ガンガー河の砂(の数)に等しい諸仏・世尊が、それぞれの仏国を、舌でもっておおって(次のように)説示している。「そなたたちは、『(安楽世界の)不可思議ですぐれた(諸)特性のほめ讃え』『すべての仏たちによる(有情の)おさめとり』と名づけるこの法門を信受せよ」(と。)

[藤田(2015):梵文和訳17]

同じように、北方において、マハールチ・スカンダ(大いなる炎のかたまりをもつ者)と名づける如来、ヴァイシュヴァーナラ・ニルゴーシャ(あまねくとどろく響きをもつ者)と名づける如来、ドゥンドゥビ・スヴァラ・ニルゴーシャ(太鼓の音のような響きをもつ者)と名づける如来、ドゥシュプラダルシャ(攻撃しがたい者)と名づける如来、アーディティヤ・サンバヴァ(太陽から生じた者)と名づける如来、ジャーリニー・プラバ(網のような光明をもつ者)と名づける如来、プラバーカラ(光明を放つ者)と名づける如来がおられるが、シャーリプトラよ、このような〔如来たち〕をはじめとして、北方におけるガンジス河の砂のごとき仏・世尊たちは、各々の仏国土を、舌をもってあまねく覆って、明言されている―『そなたたちは、この<不可思議な功徳の称讃、一切の仏たちの摂受>と名づける法門を信受せよ』〔と〕。

 

[原文18]

T0366_.12.0347c11: 舍利弗。下方世界有師子佛。名聞佛。名光

T0366_.12.0347c12: 佛。達摩佛。法幢佛。持法佛。如是等恒河

T0366_.12.0347c13: 沙數諸佛。各於其國出廣長舌相。遍覆三

T0366_.12.0347c14: 千大千世界説誠實言。汝等衆生。當信是

T0366_.12.0347c15: 稱讃不可思議功徳一切諸佛所護念經

[中村・早島・紀野(1990):国訳18]

舍利弗よ、下方世界に、師子佛、名聞佛、名光佛、達摩佛、法幢佛、持法佛、かくのごときらの恒河の沙の數(ほど)の諸佛ありて、おのおの、その國において、廣長の舌相を出し、あまねく三千大千世界を覆いて、(この)誠實の言を説きたもう、『汝ら衆生よ、まさに、この、〈不可思議の功徳を稱讃する、一切諸佛に護念せらる(と名づくる)經〉を信ずべし』と。

[浄土真宗聖典編纂委員会編(1996):現代語訳18]

舍利弗よ、また下方の世界にも、師子佛・名聞佛・名光佛・達摩佛・法幢佛・持法佛など、

ガンジス河の砂の数ほどのさまざまな仏がたがおられ、それぞれの国でひろく舌相を示して、世界のすみずみにまで阿弥陀仏のすぐれた徳が真実であることをあらわし、まごころをこめて、〈そなたたち世の人々よ、この《阿弥陀仏の不可思議な功徳をほめたたえて、すべての仏がたがお護りくださる経》を信じるがよい〉と仰せになっている。

[柏原(1980):講義18]

「舎利弗よ。第五に下方の世界には、師子佛・名聞佛・名光佛・達摩佛・法幢佛・持法佛など恒沙の諸仏がいられる。これらの諸仏は、みな自国において、広長の舌をもつて徧く三千大千世界を覆い、まことの説法をあそばされる。そして証明して申されるには、「汝等、我が国の衆生よ、まさに阿弥陀仏の不可思議功徳を称讃するところの『一切諸仏所護念経』を信ぜよ」と。

[中村・早島・紀野(1990):梵文和訳18]

15 同じように、下方において、シンハ(獅子)と名づけられる如来、ヤシャス(名声)と名づけられる如来、ヤシャハ・プラバーサ(名声という光輝ある者)と名づけられる如来、ダルマ(法)と名づけられる如来、ダルマ・ダラ(法を持つ者)と名づけられる如来、ダルマ・ドヴァジャ(法の幡をもつ者)と名づけられる如来がまします。シャーリプトラよ。下方において、このような(如来たち)をはじめとして、ガンジス河の砂のように(無数に在す)仏・世尊たちは、舌でもって、各自の仏国土をすっかり覆って、はっきりと言われる―『そなたたちは、この〈不可思議な功徳の称讃〉〈一切の仏たちのすっかりまもるところ〉と名づけられる法門を信じなさい。』と。

[山口・桜部・森(2002):梵文和訳18]

(15)同じように、下方では、シンハ(獅子)と名づける如来、ヤシャス(名声)と名づける如来、ヤシャハプラバーサ(名声という光輝をもつもの)と名づける如来、ダルマ(法)と名づける如来、ダルマダラ(法を保つもの)と名づける如来、ダルマドヴァジャ(法のをもつもの)と名づける如来らが(安楽世界をほめ讃えている)。このような(如来たち)を首座として、シャーリプトラよ、下方では、ガンガー河の砂(の数)に等しい諸仏・世尊が、それぞれの仏国を、舌でもっておおって(次のように)説示している。「そなたたちは、『(安楽世界の)不可思議ですぐれた(諸)特性のほめ讃え』『すべての仏たちによる(有情)のおさめとり』と名づけるこの法門を信受せよ」(と。)

[藤田(2015):梵文和訳18]

同じように、下方において、シンハ(獅子)と名づける如来、ヤシャ(名声ある者)と名づける如来、ヤシャ・プラバーサ(名声ある光輝をもつ者)と名づける如来、ダルマ(法)と名づける如来、ダルマ・ダラ(法を持てる者)と名づける如来、ダルマ・ドヴァジャ(法のをもつ者)と名づける如来がおられるが、シャーリプトラよ、このような〔如来たち〕をはじめとして、下方におけるガンジス河の砂のごとき仏・世尊たちは、各々の仏国土を、舌をもってあまねく覆って、明言されている―『そなたたちは、この<不可思議な功徳の称讃、一切の仏たちの摂受>と名づける法門を信受せよ』〔と〕。

 

[原文19]

T0366_.12.0347c16: 舍利弗。上方世界有梵音佛。宿王佛。香上

T0366_.12.0347c17:

T0366_.12.0347c18:

T0366_.12.0347c19:

T0366_.12.0347c20:

T0366_.12.0347c21:

T0366_.12.0347c22:

T0366_.12.0347c23:

T0366_.12.0347c24:

T0366_.12.0347c25:

T0366_.12.0347c26:

T0366_.12.0347c27:

T0366_.12.0347c28:

T0366_.12.0347c29:

T0366_.12.0348a01: 佛。香光佛。大焔肩佛。雜色寶華嚴身佛。娑羅

T0366_.12.0348a02: 樹王佛。寶華徳佛。見一切義佛。如須彌山佛。

T0366_.12.0348a03: 如是等恒河沙數諸佛。各於其國。出廣長

T0366_.12.0348a04: 舌相。遍覆三千大千世界説誠實言。汝等

T0366_.12.0348a05: 衆生。當信是稱讃不可思議功徳一切諸佛

T0366_.12.0348a06: 所護念經

[中村・早島・紀野(1990):国訳19]

舍利弗よ、上方世界に、梵音佛、宿王佛、香上佛、香光佛、大焔肩佛、雜色寶華嚴身佛、娑羅樹王佛、寶華徳佛、見一切義佛、如須彌山佛、かくのごときらの恒河の沙の數(ほど)の諸佛ありて、おのおの、その國において、廣長の舌相を出し、あまねく三千大千世界を覆いて、(この)誠實の言を説きたもう、『汝ら衆生よ、まさに、この、〈不可思議の功徳を稱讃する、一切諸佛に護念せらる(と名づくる)經〉を信ずべし』と。

[浄土真宗聖典編纂委員会編(1996):現代語訳19]

舍利弗よ、また上方の世界にも、梵音佛・宿王佛・香上佛・香光佛・大焔肩佛・雜色寶華嚴身佛・娑羅樹王佛・寶華徳佛・見一切義佛・如須彌山佛など、ガンジス河の砂の数ほどのさまざまな仏がたがおられ、それぞれの国でひろく舌相を示して、世界のすみずみにまで阿弥陀仏のすぐれた徳が真実であることをあらわし、まごころをこめて、〈そなたたち世の人々よ、この《阿弥陀仏の不可思議な功徳をほめたたえて、すべての仏がたがお護りくださる経》を信じるがよい〉と仰せになっている。

[柏原(1980):講義19]

「舎利弗よ。第六に上方世界には、梵音佛・宿王佛・香上佛・香光佛・大焔肩佛・雜色寶華嚴身佛・娑羅樹王佛・寶華徳佛・見一切義佛・如須彌山佛のような恒沙の諸仏がましますことである。そしておのおの自国において、広長の舌を出し、それをもつて徧く三千大千世界を覆うて説法の誠なることを証明せられる。申されるには、「汝等、わが衆生よ。まさに阿弥陀仏の不可思議の功徳を称讃するところの『一切諸仏所護念経』を信ぜよ」と。

[中村・早島・紀野(1990):梵文和訳19]

16 同じように、上方において、ブラフマ・ゴーシャ(梵天の音声ある者)と名づけられる如来、ナクシャトラ・ラージャ(星たちの王)と名づけられる如来、インドラケートゥ・ドヴァジャ・ラージャ(帝釈天の幡の王)と名づけられる如来、ガンドゥーツタマ(最上の香りある者)と名づけられる如来、ガンダ・プラバーサ(香りの光輝ある者)と名づけられる如来、マハールチ・スカンダ(大いなる炎のかたまりをもつ者)と名づけられる如来、ラトナ・クスマ・サンプシピタ・ガートラ(身体が宝の花で飾られた者)と名づけられる如来、サーレーンドララージャ(樹王サーラの王)と名づけられる如来、ラトノートパラシュリー(宝の蓮花のように美麗な)と名づける如来、サルヴァールタ・ダルシャ(一切の意義を見る者)と名づける如来、スメール・カルパ(須弥山のごとき者)と名づける如来がいる。シャーリプトラよ。上方において、このような(如来たち)をはじめとして、ガンジス河の砂のように(無数に在す)仏・世尊たちは、舌でもって、各自の仏国土をすっかり覆って、はっきりと言われる―『そなたたちは、この〈不可思議な功徳の称讃〉〈一切の仏たちのすっかりまもるところ〉と名づけられる法門を信じなさい。』と。

[山口・桜部・森(2002):梵文和訳19]

(16)同じように、上方では、ブラフマゴーシャ(梵天のごとき声をもつもの)と名づける如来、ナクシャトララージャ(星座の王)と名づける如来、インドラケートゥドヴァジャラージャ(帝釈天の幡やの王)と名づける如来、ガンドーッタマ(最高の香りあるもの)と名づける如来、ガンダプラバーサ(香りの光輝あるもの)と名づける如来、マハールチスカンダと名づける如来、ラトナクスマサンプシュピタガートラ(宝の花に身を飾られたもの)と名づける如来、サーレーンドララージャ(サーラ樹の帝王)と名づける如来、ラトノートパラシュリー(宝の蓮華の美しさをもつもの)と名づける如来、サルヴァールタダルシャ(すべての意味を見るもの)と名づける如来、スメールカルパ(須弥山のごときもの)と名づける如来らが(安楽世界をほめ讃えている)。このような(如来たち)を首座として、シャーリプトラよ、上方では、ガンガー河の砂(の数)に等しい諸仏・世尊が、それぞれの仏国を、舌でもっておおって(次のように)説示している。「そなたたちは、『(安楽世界の)不可思議ですぐれた(諸)特性のほめ讃え』『すべての仏たちによる(有情の)おさめとり』と名づけるこの法門を信受せよ」(と。)

[藤田(2015):梵文和訳19]

同じように、上方において、ブラフマ・ゴーシャ(梵天の音声をもつ者)と名づける如来、ナクシャトラ・ラージャ(星宿の王)と名づける如来、インドラ・ケートゥ・ドヴァジャ・ラージャ(インドラ神の旗やの王)と名づける如来、ガンドーッタマ(最上の香りをもつ者)と名づける如来、ガンダ・プラバーサ(香りの光輝をもつ者)と名づける如来、マハールチ・スカンダ(大いなる炎のかたまりをもつ者)と名づける如来、ラトナ・クスマ・サンプシュピタ・ガートラ(宝石の花に飾られた身体をもつ者)と名づける如来、サーレーンドラ・ラージャ(サーラ樹王の王)と名づける如来、ラトノートパラ・シュリー(宝石の青蓮華の美をもつ者)と名づける如来、サルヴァールタ・ダルシャ(一切の意義を見る者)と名づける如来、スメール・カルパ(須弥山のごとき者)と名づける如来がおられるが、シャーリプトラよ、このような〔如来たち〕をはじめとして、上方におけるガンジス河の砂のごとき仏・世尊たちは、各々の仏国土を、舌をもってあまねく覆って、明言されている―『そなたたちは、この<不可思議な功徳の称讃、一切の仏たちの摂受>と名づける法門を信受せよ』〔と〕。

 

[原文20]

T0366_.12.0348a07: 舍利弗。於汝意云何。何故名爲一切諸佛

T0366_.12.0348a08: 所護念經。舍利弗。若有善男子善女人。聞

T0366_.12.0348a09: 是經受持者。及聞諸佛名者。是諸善男子善

T0366_.12.0348a10: 女人。皆爲一切諸佛共所護念。皆得不

T0366_.12.0348a11: 退轉於阿耨多羅三藐三菩提。是故舍利弗。

T0366_.12.0348a12: 汝等皆當信受我語及諸佛所説

T0366_.12.0348a13: 舍利弗。若有人已發願。今發願。當發願。欲

T0366_.12.0348a14: 生阿彌陀佛國者。是諸人等。皆得不退轉

T0366_.12.0348a15: 於阿耨多羅三藐三菩提。於彼國土若已生。

T0366_.12.0348a16: 若今生。若當生。是故舍利弗。諸善男子善女

T0366_.12.0348a17: 人。若有信者。應當發願生彼國土

[中村・早島・紀野(1990):国訳20]

舍利弗よ、汝の意においていかに。何がゆえに名づけて、〈一切諸佛に護念せらる(と名づくる)經〉とする。舍利弗よ、もし、善男子・善女人ありて、この諸仏の説くところの(阿弥陀仏の)名、および(この)經の名を聞かば、このもろもろの善男子・善女人、みな、一切諸佛のともに護念するところとなりて、みな、阿耨多羅三藐三菩提より退轉せざることをう。このゆえに、舍利弗よ、汝らみな、まさに、わが語および諸佛の説くところを信受すべし。舍利弗よ、もし人ありて、すでに願を發し、いま願を發し、まさに願を發して、阿彌陀佛の國に生まれんと欲せば、このもろもろの人ら、みな、阿耨多羅三藐三菩提より退轉せざることをえて、かの國土において、もしはすでに生まれ、もしはいま生まれ、もしはまさに生まれん。このゆえに、舍利弗よ、もろもろの善男子・善女人にして、もし信あらば、まさに願を發して、かの國土に生まるべし。

[浄土真宗聖典編纂委員会編(1996):現代語訳20]

舎利弗よ、そなたはどう思うか。なぜこれを〈すべての仏がたがお護りくださる経〉と名づけるのだろうか。舎利弗よ、もし善良なものたちが、このように仏がたがお説きになる阿弥陀仏の名とこの経の名を聞くなら、これらのものはみな、すべての仏がたに護られて、この上ないさとりに向かって退くことのない位に至ることができる。だから舎利弗よ、そなたたちはみな、わたしの説くこの教えと、仏がたのお説きになることを深く信じて心にとどめるがよい。舎利弗よ、もし人々が阿弥陀仏の国に生れたいとすでに願い、または今願い、あるいはこれから願うなら、みなこの上ないさとりの向かって退くことのない位に至り、その国にすでに生れているか、または今生れるか、あるいはこれから生れるのである。だから舎利弗よ、仏の教えを信じる善良なものたちは、ぜひともその国に生れたいと願うべきである。

[柏原(1980):講義20]

「舎利弗よ。われは前に『一切諸仏所護念経』という経名を用いた。汝はどう考えるか。なにゆえ、このように名づけるかを知っているか。今ここにその所以を説いて聞かそう。

舎利弗よ。もし宿善の開けた男女があって、恒沙の諸仏の説かれる阿弥陀仏の六字のみ名、およびそのお経の名を聞くならば、これらの男女はみなこの現世において一切諸仏の念力に護られる。それがため、いかほど心の弱いものでも、諸仏の護念によって心動かず、未来には仏のさとりを得させていただくことができる。まことに、仏のみ名を信じ称えるものは、このような現当二世の利益をうけることである。前に述べたように、六方の諸仏が証誠し、勧信せられることも、つまりはこの諸仏の護念に外ならぬ。このお経は、このような事柄を説いたものであるから『一切諸仏所護念経』と名づけるのである。」

「舎利弗よ。もし人あって、前世に願を発(おこ)すとか、今世に願を発すとか、あるいは未来の世に願を発すとかして、阿弥陀仏の御国に生まれたいと欲(おも)うものは、十人は十人ながら百人は百人ながら、みな仏果を得ることにまちがいない。すなわちかの安楽国へはすでに往生し、いま往生し、未来に往生するのである。されば、舎利弗よ。もし善男善女があって、わが語(ことば)や諸仏の説かれる教えを信ずるものは、まさに願を発してかの安楽国に往生せよ。」

[中村・早島・紀野(1990):梵文和訳20]

17 シャーリプトラよ。そなたはどう思うか―どういうわけで、この法門は〈一切の仏たちのすっかりまもるところ〉と名づけられるのであろうか。シャーリプトラよ。立派な若者たちや、あるいは立派な娘たちであって、この法門の名を聞いたり、または、かれら仏・世尊たちの名を記憶して忘れないであろう者は誰でもすべて、仏たちにすっかりまもられる(摂受される)であろうし、また、この上ない正しい覚りから退くことがないであろう。それ故に、シャーリプトラよ、あなたたちは、わたしとかれら仏・世尊たちとを信じなさい。信じ受け入れなさい。疑ったりしてはならないのだ。シャーリプトラよ、立派な若者たちや、あるいは立派な娘たちであって、かの世尊・無量寿如来の仏国に生れたいと願をおこすであろう人、あるいはすでにおこした人、あるいは今おこしている人は、誰でもすべて、この上ない正しい覚りから退いたりすることがないであろうし、またかの仏国土に生まれるであろうし、あるいはすでに生れているのであるし、あるいは今生まれるのだ。それ故に、シャーリプトラよ、信仰心のある立派な若者立派な娘たちとは、かの仏国土に(生まれたいという)誓願をおこさなければならないのだ。

[山口・桜部・森(2002):梵文和訳20]

(17)そなたはこれをいかに考えるか。シャーリプトラよ、どうしてこの法門は「すべての仏たちによる(有情の)おさめとり」と名づけるのか。シャーリプトラよ、およそいかなる良家の男子あるいは良家の女子にもせよ、この法門の名を聞くであろうならば、そして、それら諸仏・世尊の名を心に保って忘れないであろうならば、彼らはすべて、仏によっておさめとられたものとなるであろう。また、この上ない完全なさとりに対して後退することのないものとなるであろう。それゆえに、ここで、シャーリプトラよ、そなたたちは、私を、そしてそれら諸仏・世尊を、信ぜよ、信受せよ、疑ってはならない。

シャーリプトラよ、およそいかなる良家の男子あるいは良家の女子にもせよ、かの世尊アミターユス如来の仏国に(生まれようと)、やがて心に誓願をたてるであろうものは、あるいはかつて(誓願を)たてたものは、あるいは現に(誓願を)たてているものは、すべて、この上ない完全なさとりに対して後退することなく、やがてかの仏国に生まれるであろうし、あるいはすでに生まれたのであるし、あるいは現に生まれているのである。それゆえに、ここで、シャーリプトラよ、信ある良家の男子あるいは良家の女子は、かの仏国に(生まれようと)心に誓願をたてるべきである。

[藤田(2015):梵文和訳20]

シャーリプトラよ、これをどう思うか―どういうわけで、この法門は〈一切の仏たちの摂受〉と名づけられるのであろうか。シャーリプトラよ、およそいかなる良家の男子たちまたは良家の女子たちであっても、この法門の名を聞き、またこれらの仏・世尊たちの名を憶持するであろうならば、かれらはすべて、仏たちにおさめとられる者となり、また無上なる正等覚に向けて退転しない者となるであろう。それゆえに、シャーリプトラよ、ここで〔そなたたちは〕わたくしとかれら仏・世尊たちとを信ぜよ、信受せよ、信頼せよ。

シャーリプトラよ、およそいかなる良家の男子たちまたは良家の女子たちであっても、かの世尊アミターユス如来の仏国土に向けて心に誓願をなすであろう者、あるいはすでになした者、あるいは現になしている者は、すべて、無上なる正等覚に向けて退転しない者となり、かしこの仏国土に生まれるであろうし、あるいはすでに生まれ、あるいは現に生まれるのである。それゆえに、シャーリプトラよ、ここで、信ある良家の男子たちと良家の女子たちは、かしこの仏国土に向けて心に誓願を起こすべきである。

 

[原文21]

T0366_.12.0348a18: 舍利弗。如我今者稱讃諸佛不可思議功徳。

T0366_.12.0348a19: 彼諸佛等。亦稱説我不可思議功徳。而作

T0366_.12.0348a20: 是言。釋迦牟尼佛能爲甚難希有之事。能

T0366_.12.0348a21: 於娑婆國土五濁惡世。劫濁。見濁。煩惱

T0366_.12.0348a22: 濁。衆生濁。命濁中。得阿耨多羅三藐三菩提。

T0366_.12.0348a23: 爲諸衆生。説是一切世間難信之法。

[中村・早島・紀野(1990):国訳21]

舍利弗よ、われ、いま、諸佛の不可思議の功徳を稱讃するごとく、かの諸佛らも、また、わが不可思議の功徳を稱説して、この言をなす、『釋迦牟尼佛、よく甚難・希有の事をなしたまえり。(すなわち)よく娑婆國土の、五濁惡世の劫濁、見濁、煩惱濁、衆生濁、命濁の中において、阿耨多羅三藐三菩提をえて、もろもろの衆生のために、この、一切世間の難信の法を説きたまえり』と。

[浄土真宗聖典編纂委員会編(1996):現代語訳21]

舎利弗よ、わたしが今、仏がたの不可思議な功徳をほめたたえているように、その仏がたもまた、わたしの不可思議な功徳をほめたたえてこのように仰せになっている。

〈釈迦牟尼仏は、世にもまれな難しく尊い行を成しとげられた。娑婆世界はさまざまな濁りに満ちていて、汚れきった時代の中、思想は乱れ、煩悩は激しくさかんであり、人々は悪事を犯すばかりで、その寿命はしだいに短くなる。そのような中にありながら、この上ないさとりを開いて、人々のためにすべての世に超えすぐれた信じがたいほどの尊い教えをお説きになったことである〉

[柏原(1980):講義21]

「舎利弗よ。我は前に六方諸仏が阿弥陀仏を信ずることを勧められる不可思議の功徳を讃め述べた。それと同じように、かの諸仏もまた、わが阿弥陀仏を説きたてまつる不可思議の功徳を讃めて下される。のたまうには、「釈迦牟尼仏は、よくこのような説き難い法を説き、値(あ)い難い希有(めずらしい)の大法に値わさしめたことである。よくもこの、時濁り、邪見盛んに、煩悩はげしく、道徳すたれ、生死たけなわな世の中において、無上正徧知を得たことである。またよくも、その上に、もろもろの衆生のために信じ難い阿弥陀仏の法を説きひろめたことである」と。

[中村・早島・紀野(1990):梵文和訳21]

18 シャーリプトラよ。わたしが今、このように、かれら仏・世尊たちの不可思議な功徳をほめ讃えているように、そのように、シャーリプトラよ、かれら仏・世尊たちもまた、わたしの不可思議な功徳をほめ讃えて、『世尊・しゃか族の聖者・しゃか族の大王は、いともなし難いことをなしとげた。現実の世界において、この上ない正しい覚りを覚り得て、時代の濁り、生けるものの濁り、偏見の濁り、命の濁り、煩悩の濁りの中にいながら、一切の世間の人々が信じ難い法を説かれた。』と言うのだ。

[山口・桜部・森(2002):梵文和訳21]

(18)シャーリプトラよ、あたかも私がいま、このようにかの諸仏・世尊の不可思議にすぐれた諸特性をほめ讃えているように、まさに同様に、シャーリプトラよ、かの諸仏・世尊もまた、次のように私の不可思議にすぐれた諸特性をほめ讃えている。「世尊、釈迦牟尼、釈迦(族)の帝王は、きわめてなしがたいことをなした。娑婆世界において、この上ない完全なさとりをさとって、すべての世間(の人々)にとって信じがたい法を、時代の濁り、有情の濁り、見解の濁り、寿命の濁り、煩悩の濁りのなかで、説いたのである」(と。)

[藤田(2015):梵文和訳21]

シャーリプトラよ、あたかも、わたくしが今、かれら仏・世尊たちのもろもろの不可思議な功徳をこのように称讃しているように、まさしく同じように、シャーリプトラよ、かれら仏・世尊たちもまた、わたくしのもろもろの不可思議な功徳を次のように称讃している―『世尊・釈迦牟尼・釈迦族の大王は、甚だなしがたいことをなした。娑婆世界において、無上なる正等覚をさとってから、時代の汚濁、衆生の汚濁、見解の汚濁、寿命の汚濁、煩悩の汚濁の中で、一切の世間〔の者たち〕の信じがたい法を説かれた』〔と〕。

 

[原文22]

T0366_.12.0348a23:                 舍利弗

T0366_.12.0348a24: 當知。我於五濁惡世。行此難事。得阿耨多

T0366_.12.0348a25: 羅三藐三菩提。爲一切世間。説此難信之

T0366_.12.0348a26: 法。是爲甚難。

[中村・早島・紀野(1990):国訳22]

舍利弗よ、まさに知るべし。われ、五濁惡世において、この難事を行じ、阿耨多羅三藐三菩提をえて、一切世間のために、この難信の法を説けり。これを甚難(の事)とす。」

[浄土真宗聖典編纂委員会編(1996):現代語訳22]

舎利弗よ、よく知るがよい。わたしは濁りと悪に満ちた世界で難しい行を成しとげ、この上ないさとりを開いて仏となり、すべての世界のもののためにこの信じがたいほどの尊い教えを説いたのである。このことこそ、まことに難しいことなのである」

[柏原(1980):講義22]

舎利弗よ。明らかに知れ、この諸仏の讃められるところに偽りはないのである。まことに我は五濁悪世において、甚難希有のことを行い、無上正徧知を得、一切世間のために難信の法を説いた。今、歳を重ねてそれらのことを追懐してみると、まことにこれははなはだ難事であった。よくも我はこの難事をなしたことである。我ながら不思議におもう。これにつけても、わが後に阿弥陀仏ましますことを思わずにはいられぬ。」

[中村・早島・紀野(1990):梵文和訳22]

19 シャーリプトラよ。わたしが現実の世界において、この上ない正しい覚りを覚り得て、生ける者の濁り、偏見の濁り、煩悩の濁り、命の濁り、時代の濁りの中にいながら、一切の世間の人が信じ難い法を説くということは、わたしにとってもまた、もっともなし難いところであるのだ。」と。

[山口・桜部・森(2002):梵文和訳22]

(19)シャーリプトラよ、およそ私が娑婆世界において、この上ない完全なさとりをさとって、すべての世間(の人々)にとって信じがたい法を、有情の濁り、見解の濁り、煩悩の濁り、寿命の濁り、時代の濁りのなかで説くというこのことは、私にとってもきわめてなしがたいことである。

[藤田(2015):梵文和訳22]

シャーリプトラよ、わたくしが娑婆世界において、無上なる正等覚をさとってから、衆生の汚濁、見解の汚濁、煩悩の汚濁、寿命の汚濁、時代の汚濁の中で、一切の世間の〔者たちの〕信じがたい法を説くというのは、わたくしにとってもまた、最もなしがたいことである。」

 

[原文23]

T0366_.12.0348a26:        佛説此經已。舍利弗及諸比

T0366_.12.0348a27: 丘。一切世間天人阿修羅等。聞佛所説歡喜

T0366_.12.0348a28: 信受。作禮而去

T0366_.12.0348a29: 佛説阿彌陀經

[中村・早島・紀野(1990):国訳23]

佛、この經を説きおわるや、舍利弗およびもろもろの比丘、一切世間の天・人・阿修羅等、佛の説きたまいしところを聞きて、歡喜信受して、禮をなして去りぬ。

 

佛の説きたまいし阿彌陀經

[浄土真宗聖典編纂委員会編(1996):現代語訳23]

このように仰せになって、釈尊がこの教えを説きおわられると、舎利弗をはじめ、多くの修行僧たちも、すべての世界の天人や人々も、阿修羅などもみな、この尊い教えを承って喜びに満ちあふれ、深く信じて心にとどめ、うやうやしく礼拝して立ち去ったのである。

 

仏説阿弥陀経

[柏原(1980):講義23]

釈尊は、こうして『阿弥陀経』の御説法を終わられた。ここに舎利弗尊者をはじめ、諸の比丘・天・人・阿修羅などは、みな釈尊のみ教えを聞いて、身も心も歓喜にみち、深く信仰の念を起こし、うやうやしく礼拝して座を去(しりぞ)いた。

 

仏説阿弥陀経

[中村・早島・紀野(1990):梵文和訳23]

20 師は以上のことを説かれた。シャーリプトラ尊者と、かれら修行僧たちと、かれら求道者たちと、神々と、人間と、アスラと、ガンダルヴァと、世間の者どもとは、世尊の説かれたことを歓喜したのであった。

 

〈幸あるところの美しい光景〉と名づける大乗経典(を終る)

[山口・桜部・森(2002):梵文和訳23]

(20)以上のように、世尊はお説きになった。尊者シャーリプトラも、かの比丘たちも、かの菩薩たちも、諸天、人間、阿修羅、ガンダルヴァをふくめた(すべての)世間(の有情たち)も、心喜び、世尊の説かれた(教え)に歓喜した。

 

「安楽(世界)の(すぐれた徳性を)美しくそなえたさま」と名づける大乗経典(終わる)。

[藤田(2015):梵文和訳23]

以上のことを世尊は説かれた。尊者シャーリプトラと、かれら比丘たちと、かれら菩薩たちと、神々・人間・阿修羅・ガンダルヴァを含む世間〔の者たち〕は、心喜び、世尊の説かれたことを歓喜した。

 

〈極楽の荘厳〉と名づける大乗経典〔は終わる〕。

 

[原文24]

T0366_.12.0348b01:

T0366_.12.0348b02:   無量壽佛 説往生淨土呪 南無阿彌多

T0366_.12.0348b03: 婆夜 哆他伽哆夜 哆地夜他 阿彌唎

T0366_.12.0348b04: 上聲都婆毘 阿彌唎哆 悉耽婆毘 阿彌

T0366_.12.0348b05: 唎哆 毘迦蘭哆 伽彌膩 伽伽那抧多

T0366_.12.0348b06: 迦隸莎婆訶

T0366_.12.0348b07: 誦此呪者阿彌陀佛常住其頂命終之後任

T0366_.12.0348b08: 運往生

T0366_.12.0348b09: 龍樹菩薩願生安養夢感此呪

T0366_.12.0348b10: 耶舍三藏誦此呪 天平等銹法師從耶舍

T0366_.12.0348b11: 三藏口受此呪其人云經本外國不來受持

T0366_.12.0348b12: 呪法日夜六時各誦三七遍晨夜藻漱嚼揚

T0366_.12.0348b13: 枝然香火於形象前跪合掌誦三七遍日日

T0366_.12.0348b14: 恒爾即滅四重五逆十惡謗方等罪悉得除

T0366_.12.0348b15: 滅現在不爲一切諸邪鬼神之所惱亂命終

T0366_.12.0348b16: 之後任運往生阿彌陀國何況晝夜受持誦

T0366_.12.0348b17: 讀功徳不可思議

T0366_.12.0348b18: 佛説阿彌陀經卷第一

T0366_.12.0348b19:

T0366_.12.0348b20:

[中村・早島・紀野(1990):国訳24]

[浄土真宗聖典編纂委員会編(1996):現代語訳24]

[柏原(1980):講義24]

[中村・早島・紀野(1990):梵文和訳24]

[山口・桜部・森(2002):梵文和訳24]

[藤田(2015):梵文和訳24]

 

 

【引用文献】

中村元・早島鏡正・紀野一義訳註(1990):浄土三部経(上)無量寿経、岩波文庫、岩波書店、pp.379pp.

中村元・早島鏡正・紀野一義訳註(1990):浄土三部経(下)観無量寿経・阿弥陀経、岩波文庫、岩波書店、pp.264+15pp.

山口益・桜部建・森三樹三郎訳(2002):浄土三部経、大乗仏典6、中公文庫、中央公論新社、329pp.

真宗聖典編纂委員会編(1978):真宗聖典、真宗大谷派宗務所出版部(東本願寺出版部)、p.89-123

浄土真宗聖典編纂委員会編(1996):浄土三部経(現代語訳)、浄土真宗宗教学研究所(浄土真宗本願寺派)、本願寺出版社、241pp.

柏原祐義(1980):浄土三部経講義 改訂新版、平楽寺書店、662+26pp.

藤田宏達訳(2015):新訂 梵文和訳無量寿経・阿弥陀経、法蔵館、270(+索引22)pp.

 

[原文出典] SAT大正新脩大藏經テキストデータベース

http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/

SAT大正新脩大藏經テキストデータベース2015版 (SAT 2015)

http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/satdb2015.php

佛説阿彌陀經』 (No. 366 鳩摩羅什譯 ) in Vol. 12

 

 

(作成済み:2016/9/28(~2016/11/01梵文和訳入力済み)~2016/11/01

※諸先生の「脚注」の部分は順次追加して行きます。

 

 

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